竈山神社
竈山神社(かまやまじんじゃ、釜山神社)は、和歌山県和歌山市にある神社。式内社、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
竈山神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 和歌山県和歌山市和田438 |
位置 | 北緯34度12分3.6秒 東経135度12分16秒 / 北緯34.201000度 東経135.20444度座標: 北緯34度12分3.6秒 東経135度12分16秒 / 北緯34.201000度 東経135.20444度 |
主祭神 | 彦五瀬命 |
社格等 |
式内社(小) 旧官幣大社 別表神社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 春日造 |
別名 | 釜山神社 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道第8番(和歌山第8番) |
例祭 | 10月13日 |
地図 |
概要
編集和歌山市南部、竈山の地に鎮座する。「竈山」とは『古事記』『日本書紀』に見える地名で、両書では神武天皇(初代)長兄の彦五瀬命(五瀬命)が竈山に葬られたという。当社はその彦五瀬命の神霊を祀る神社であり、本殿の背後には彦五瀬命の墓と伝える竈山墓(かまやまのはか、宮内庁治定墓)がある。
明治初期までは小さな社であったが、戦前の国家神道の発展に伴って最高の社格である官幣大社に位置づけられ、さらに社殿等が整備されて現在に至っている。また境外摂社として、式内社(名神大社)である静火神社を所管する。
祭神
編集祭神は次の通り[1]。
- 配祀神
-
- 左脇殿:彦五瀬命の兄弟神
- 右脇殿:神武東征に従軍した随身
歴史
編集創建
編集祭神の彦五瀬命は神武天皇(初代)の長兄にあたる。『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇の東征の際に行軍した彦五瀬命は、孔舎衛坂(くさえざか)[注 1]で長髄彦の軍との戦いで流矢にあたって負傷、その後雄水門(おのみなと、男之水門)[注 2]で崩御、のち竈山に葬られたという[2][注 3]。
この彦五瀬命の墓は、現在は宮内庁によって竈山神社後背にある古墳「竈山墓(かまやまのはか)」に治定されている[3]。天正の兵乱で文書が散逸したため竈山神社・墓の由緒は明らかでないが、『紀伊続風土記』では当地が「竈山墓」にあたるとし、墓の造営後直ちに神霊を奉斎したがために墓と祠が一所にあるとしている[3][2]。
概史
編集延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では紀伊国名草郡に「竈山神社」と記載され式内社に列しているほか、『紀伊国神名帳』では「従四位上 竈山神」と記載されている[3]。また『延喜式』諸陵寮では「竈山墓」の記載も見える(後述)。
永徳元年(1381年)の日前宮文書では、鵜飼新五郎の紀国造家からの神主補任の記載があり、以降中世を通じて鵜飼家が神職を世襲していたとされる[3]。
天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州征伐によって社宝・古文書を焼失、社領の神田8町8段も没収されたという[3]。慶長5年(1600年)に紀伊国に入った浅野幸長によって小祠が再建され、寛文9年(1669年)に初代紀州藩主・徳川頼宣によって社殿が再建された[3]。しかし江戸時代を通じて寺社奉行の支配下に置かれたため、氏子・社領なく衰微したという[3]。
1873年(明治6年)に近代社格制度において村社に列した。その後、1885年(明治18年)4月22日に官幣中社、1915年(大正4年)11月10日に官幣大社に昇格した[4]。村社から官幣大社まで昇格したのは、竈山神社が唯一の例である。1938年(昭和13年)頃、現在の規模の社殿が整えられた[2]。
1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
神階
編集- 六国史以後
- 従四位上 (『紀伊国神名帳』) - 表記は「竈山神」。
神職
編集神職は明治まで代々鵜飼家(うがいけ)が世襲した。鵜飼家は、『古事記』[原 1]において吉野川(紀の川)で魚を取ったと見える人物・贄持之子(苞苴擔之子、阿陀之鵜飼の祖・阿太養鸕部の祖)に始まるという[4]。古くは永徳元年(1381年)の日前宮文書で、鵜飼新五郎の神主補任の記載が見える[3]。鵜飼家文書によれば弘治年間(1555年-1557年)の鵜養半太夫ママまで79代を数えたという[3][4]。一族は官幣中社列格の際に禰宜を任じたが、数年で郷里を出たため91代で社家としては断絶した[4]。
『延喜式』諸陵寮[原 2]では竈山墓に守戸3烟があったと記すが、この3烟とは鵜飼・木野・笠野の墓守3家を指すという[2]。
境内
編集境内の広さは34,979平方メートル(約3.5ヘクタール)[1]。現在の社殿1939年は(昭和14年)の造営[4]。現在は竈山墓の南側の丘上に鎮座するが、かつては東南約100メートルの地にあったという[4][2]。
- 本殿 - 寛文9年(1669年)に徳川頼宣によって再建。春日造檜皮葺[4]。
- 左脇殿 - 寛文9年(1669年)に徳川頼宣によって再建[4]。
- 右脇殿 - 寛文9年(1669年)に徳川頼宣によって再建。
- 幣殿 - 寛文9年(1669年)に徳川頼宣によって再建。
- 拝殿 - 寛文9年(1669年)に徳川頼宣によって再建。
- 西門
- 神門
- 社務所
- 池
-
神門
-
参道
-
境内鳥居
摂末社
編集- 境内社
- 合祀神社
- 結神社
- 子安神社
- 青葉神社
- 境外社
- 静火神社 - 式内名神大社「静火神社」の後継社。
-
青葉神社
祭事
編集- 毎月
- 月首祭 (1日)
- 雄叫祭(おたけびさい) (8日)
- 月次祭 (13日)
- 静火神社月次祭 (16日)
- 1月
- 歳旦祭 (1月1日)
- 元始祭 (1月3日)
- 昭和天皇遥拝式 (1月7日)
- 古神札焼納祭(どんと焼き) (1月14日)
- 2月
- 右脇殿祭 (2月2日)
- 節分祭 (立春前日)
- 紀元節祭 (2月11日)
- 祈年祭 (2月17日)
- 合祀神社初午祭 (新暦初午日)
- 3月
- 結神社例祭 (3月16日)
- 春季皇霊殿遥拝式、春分祭 (春分の日)
- 4月
- 神武天皇遥拝式 (4月3日)
- 春季祭、合祀神社春祭 (4月13日)
- 静火神社春祭 (4月16日)
- 昭和祭 (4月29日)
- 5月
- 雄叫祭(おたけびさい) (5月8日) - 祭神・彦五瀬命の命日と伝える。
- 青葉神社例祭 (5月23日)
- 6月
- 左脇殿祭 (6月23日)
- 夏越大祓式 (6月30日)
- 7月
- 夏祭 (7月13日)
- 明治天皇遥拝式 (7月30日)
- 8月
- 万世太平祭 (8月15日)
- 9月
- 秋季皇霊殿遥拝式、秋分祭 (秋分の日)
- 10月
- 例祭、合祀神社例祭 (10月13日)
- 子安神社例祭 (10月16日)
- 神嘗祭遥拝式 (10月17日)
- 11月
- 明治節祭 (11月3日)
- 新嘗祭(新穀感謝祭) (11月23日)
- 12月
- 天長節祭 (12月23日)
- 大正天皇遥拝式 (12月25日)
- 師走大祓式、除夜祭 (12月31日)
登場作品
編集「 | をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ | 」 |
—本居宣長 |
竈山墓
編集竈山墓(かまやまのはか)は、竈山神社の本殿後背にある古墳(北緯34度12分4.97秒 東経135度12分14.93秒 / 北緯34.2013806度 東経135.2041472度)。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により彦五瀬命の墓に治定されている[6][7][3]。宮内庁上の形式は円墳[6]。高さ約9メートルの独立丘上に位置し、墳丘は直径約6メートル、高さ約1メートルで、裾に護石を配する[3]。
『古事記』『日本書紀』[原 3]では、彦五瀬命は「紀国之竈山」または「紀伊国竈山」に葬られたと記載されている[3]。『延喜式』諸陵寮[原 2]では「竈山墓」と記載され、紀伊国名草郡にあり、兆域(墓域)は東西1町・南北2町で守戸3烟を付して遠墓としている[3]。『延喜式』において紀伊国唯一の陵墓である[3]。その後康和2年(1100年)の解状では、紀伊国等の陵墓は格式に規定されているにもかかわらず、国司によって兆域侵犯や陵戸収公が行われていると記している[3]。
上記の記録があるものの、その後竈山墓の所在地は不明となった。『紀伊続風土記』では寛文9年(1669年)に区域を定めて殺生を禁じたというが、これは神社の区域を定めたものであり、竈山墓の所在自体はなお不明であった[3]。寛政6年(1794年)に本居宣長とともに竈山神社を参拝した本居大平は、所在不明の旨を「なぐさの浜づと」に記している[3]。明治9年(1876年)に現在の古墳が「竈山墓」に治定され、明治14年(1881年)に修営された[4]。
前後の札所
編集現地情報
編集所在地
交通アクセス
脚注
編集注釈
- ^ 伝承地は大阪府東大阪市日下町。山中に碑が建てられている(北緯34度41分49.51秒 東経135度39分40.62秒 / 北緯34.6970861度 東経135.6612833度)。
- ^ 伝承地は和歌山市小野町の水門吹上神社(北緯34度13分56.08秒 東経135度9分53.68秒 / 北緯34.2322444度 東経135.1649111度)。別の伝承に大阪府泉南市男里(北緯34度22分13.00秒 東経135度15分14.52秒 / 北緯34.3702778度 東経135.2540333度)。
- ^ 当地の伝説では、彦五瀬命は竈山南西の吉原まで来て崩御したという (竈山神社・静火神社(神々) & 1986年, p. 316-318)。
原典
出典
参考文献
編集関連文献
編集- 『古事類苑』 神宮司庁編、竈山神社項。
- 『古事類苑 第9冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)648-649コマ参照。
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、21頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、102頁