穆子内親王
平安時代前期の皇族。光孝天皇の七女。陽成・光孝朝の賀茂斎院
穆子内親王(ぼくし(むつこ)ないしんのう、生年不詳 - 延喜3年12月5日(903年12月26日))は、平安時代前期の皇族。光孝天皇第7皇女。母は正躬王の女。陽成・光孝天皇朝の賀茂斎院。
穆子内親王 | |
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時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 不詳 |
薨去 | 延喜3年12月5日(903年12月26日) |
父母 | 父:光孝天皇、母:正躬王の女 |
兄弟 | 源元長、源兼善、源名実、源篤行、源最善、源近善、源音恒、源是恒、源旧鑑、忠子内親王、源貞恒、源成蔭、滋水清実、是忠親王、是貞親王、源国紀、宇多天皇、源香泉、源友貞、簡子内親王、綏子内親王、為子内親王、繁子内親王、穆子内親王、源和子、他 |
斎院 | 元慶6年4月9日(882年5月4日)- 仁和3年(887年) |
元慶6年(882年)4月9日、敦子内親王の退下をうけて斎院に卜定。同8年(884年)4月9日、父光孝天皇即位により、姉妹の伊勢斎宮繁子内親王と共に内親王宣下。仁和元年(885年)4月10日、紫野院入り。同3年(887年)8月26日、光孝天皇の崩御により退下。延喜3年(903年)12月5日薨去。