源兼善

平安時代前期の皇族・貴族。光孝天皇の次男。従四位上・侍従

源 兼善(みなもと の かねよし)は、平安時代前期の皇族貴族光孝天皇の第二皇子。始め兼善王を名乗るがのち臣籍降下官位従四位上侍従

 
源兼善
時代 平安時代前期
生誕 不詳
死没 元慶3年4月25日879年5月19日
改名 兼善王→源兼善
官位 従四位上侍従
主君 清和天皇陽成天皇
氏族 光孝源氏
父母 父:光孝天皇
兄弟 元長兼善、名実、篤行、最善、近善、音恒、是恒旧鑑、遅子、麗子、竒子、忠子内親王、貞恒、成蔭、是忠親王是貞親王、国紀、宇多天皇、香泉、友貞、簡子内親王、崇子、連子、綏子内親王、礼子、最子、偕子、黙子、是子、並子、深子、為子内親王、周子、密子、繁子内親王穆子内親王、緩子、和子、謙子、袟子、快子、善子など多数
養兄弟:是茂
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経歴

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清和朝貞観11年(869年従四位下に叙され、翌貞観12年(870年)侍従に任ぜられる。同年2月に同じ時康親王(のち光孝天皇)の子息である兄弟の元長王是忠王是貞王らと共に合わせて14名が源朝臣姓を与えられて臣籍降下する。

のち、従四位上に叙されるが、陽成朝元慶3年(879年)4月25日卒去。最終官位は従四位上行侍従。

官歴

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日本三代実録』による。

脚注

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