穂原村 (三重県)
日本の三重県度会郡にあった村
穂原村(ほのはらむら[1][2]、ほはらむら[1])は、かつて三重県度会郡にあった村。現在の南伊勢町の東部、五ヶ所湾の北西岸にあたる。
ほのはらむら 穂原村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 五ヶ所町、穂原村、南海村、宿田曽村、神原村(一部) → 南勢町 |
現在の自治体 | 南伊勢町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東海地方、近畿地方 |
都道府県 | 三重県 |
郡 | 度会郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,678人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 五ヶ所町、南海村、沼木村、小川郷村、一之瀬村、中島村 |
穂原村役場 | |
所在地 | 三重県度会郡穂原村大字伊勢路字潜道1085番地 |
座標 | 北緯34度20分40秒 東経136度38分30秒 / 北緯34.34456度 東経136.64172度座標: 北緯34度20分40秒 東経136度38分30秒 / 北緯34.34456度 東経136.64172度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集- 海洋:五ヶ所湾
- 山岳:牛草山、龍仙山
- 河川:伊勢路川
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、押淵村・始神村・斎田村・伊勢路村・内瀬村の区域をもって穂原村が発足。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 五ヶ所町・南海村・宿田曽村および神原村の一部(大字泉・神津佐・下津浦・木谷)と合併して南勢町が発足。同日穂原村廃止。
村名の由来と読み
編集斎田村の大歳社の伝承に「鶴が稲穂を咥えて神饌をもたらした」とあることから「穂原村」と命名し、読みを「ほのはらむら」とした[2]。当初は大歳社が「鵜倉神戸」であるとの説に基づき「鵜倉村」で申請する予定であったが、すでに郡内の別の村に名称を取得されてしまったため、穂原村となった[2]。村名の読みは時代の変遷とともに「ほはらむら」が優勢になっていった。
教育
編集郵便局
編集行政
編集役場は伊勢路に置かれ、当初小字大田1500番地に置かれ、1910年(明治43年)2月に小字潜道1085番地へ移転、敷地面積485m2、建坪約150m2となった[2]。南勢町発足後は南勢町役場穂原支所として1981年(昭和56年)9月30日まで使用された[7]。
歴代村長
編集『南勢町誌』による[7]。
代 | 村長 |
---|---|
1 | 奥村与一郎 |
2 | 荘司弥太郎 |
3 | 井上楠三郎 |
4 | 奥村与一郎 |
5 | 荘司弥太郎 |
6 | 脇和吉 |
7 | 東千代吉 |
8 | 谷崎与之助 |
9 | 小切間重三郎 |
10 | 奥村徳次郎 |
11 | 滝豊八 |
12 | 萩原栄三郎 |
13 | 広出茂 |
14 | 東谷始次 |
15 | 瀬野喜一郎 |
交通
編集道路
編集航路
編集- 五ヶ所湾巡航船
脚注
編集参考文献
編集- 地名情報室『市町村名変遷辞典 三訂版』東京堂出版、2000年 ISBN 4-490-10532-0
- 南勢町誌編さん委員会『南勢町誌』南勢町、1985年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 24 三重県』角川書店、1983年