稲垣長茂
稲垣 長茂(いながき ながしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。上野国伊勢崎藩初代藩主。鳥羽藩稲垣家初代。
稲垣長茂像(天増寺蔵) | |
時代 | 戦国時代 ‐ 江戸時代初期 |
生誕 | 天文8年(1539年) |
死没 | 慶長17年10月22日(1612年11月14日) |
別名 | 藤助、通称:平右衛門 |
墓所 | 群馬県伊勢崎市の天増寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 今川義元→氏真→牧野康成→徳川家康 |
藩 | 上野伊勢崎藩主 |
氏族 | 稲垣氏 |
父母 | 父:稲垣重宗 |
子 |
重綱、則茂、重大、大久保忠知正室、 石川政次正室ら |
三河稲垣氏は文明年間に、伊勢国から三河国宝飯郡に移住した地侍の家系である。
永禄元年(1558年)、牧野右馬允康成の与力となり、後に家臣となる。永禄年間の初期には、戦国大名今川氏に属して、松平氏(徳川氏)を圧迫し、桶狭間の戦い後も今川氏のため徳川家康軍と交戦した。やがて家康に恭順した康成に従って各地を転戦して武功を挙げ、駿河国興国寺、長久保、上野大胡城の守備などを任された。
天正18年(1590年)、家康が関東に移ると、牧野氏を離れて、徳川直参組となった。このとき上野山田郡、勢多郡など3郡において3000石を与えられた。
慶長5年(1600年)の会津征伐時には、牧野康成の大胡城を守備し、対上杉守備隊に属した。その功により、翌年の慶長6年(1601年)に7000石を加増されて1万石となり、伊勢崎藩を立藩して諸侯に列した。
系譜
編集父母
- 稲垣長茂(父)
子女