秋保鉱山
秋保鉱山(あきうこうざん)とは、かつて宮城県仙台市太白区にあった鉱山である。江戸時代に開山され新川鉱山として銅を採掘[1]。大正時代から、秋保鉱山として開発され[1]鉄や銅の鉱石である黄鉄鉱や黄銅鉱などを採掘していた[2]。当時は採掘物を牛車で仙台市街まで運んでいた[3]。最盛期には300人ほどの抗夫がいた。鉱床は、グリーンタフ変動(約2000万年前)に伴い生成された硫化鉱床[2]。基盤岩は花崗閃緑岩でその上にグリーンタフが堆積する[1]。1954年(昭和29年)から1960年(昭和35年)までの産出量は銀が98 kg、銅が77 tであった[1]。1961年(昭和36年)9月30日に閉山[1]。(公式には「休止」とされる[2]。)
秋保鉱山 | |
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所在地 | |
所在地 | 宮城県名取郡秋保町(現:仙台市太白区) |
国 | 日本 |
生産 | |
産出物 | 黄鉄鉱、黄銅鉱 |
歴史 | |
開山 | 江戸時代 |
閉山 | 1961年9月30日 |
プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
現在でもボタ山(ズリ)の一部が残っており、ズリの中から鉱物採集を行う愛好者が時折訪れる(現地は危険な箇所もある)[1]。黄鉄鉱、黄銅鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱などの存在が確認できる[2]。ズリに含まれる硫化鉱物が雨水や地下水と反応し、鉄・銅・鉛・亜鉛等の重金属類を含んだ酸性水が流出しているが、付近の名取川水系の重金属の分布とは一致せず、鉱山からの水質や底質への影響は、ほとんどない[4]。また仙台市科学館は「秋保鉱山跡地自然観察会」を夏休みに開催していた[5]。
最寄り駅
編集脚注
編集参考文献
編集- 中村謙吾・佐藤海里・川辺能成・桑谷立・駒井武「名取川水系の重金属類の環境評価に関する調査及び数理統計解析」『日本鑛業會誌』第132巻第1号、資源・素材学会、2016年、22-30頁、NAID 130005123152。