福浜村
福浜村(ふくはまそん)は、かつて岡山県御津郡に存在した村である。1900年3月31日までは御野郡に属していた。
ふくはまそん 福浜村 | |
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廃止日 | 1931年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 福浜村 、上道郡宇野村・平井村 → 岡山市 |
現在の自治体 | 岡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 御津郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 14.42 km2. |
総人口 |
4,277人 (岡山市史 第6、1931年4月) |
隣接自治体 |
岡山市、芳田村、平井村、三蟠村 児島湾を挟んで隣接 甲浦村 |
福浜村役場 | |
所在地 |
岡山県御津郡福浜村大字福富 |
座標 | 北緯34度37分23秒 東経133度56分17秒 / 北緯34.62306度 東経133.93817度座標: 北緯34度37分23秒 東経133度56分17秒 / 北緯34.62306度 東経133.93817度 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集旭川下流右岸の平地に位置し、元々は児島と本州の間の海であり、大部分が江戸時代に干拓によって開かれた。
明治維新の際には浜野村・浜田村・平福邑・福島村・尾上新田・福富村・福成村・福田村・青江新田といった諸村があり、尾上新田は延宝元年に、青江新田は元禄2年に、それ以外は寛永年間に開墾された。また浜野村は鹿田荘の一部であった[2]。
村名の福浜は合併各村名を参互折衷して命名された[3]。
沿革
編集- 1875年(明治8年)3月 - 浜田村と平福邑が合併して洲崎村となる。福島村と支村の尾上新田が合併して福島村となる。福田村と支村の青江新田が合併して福田村となる。
- 1883年(明治16年)2月15日 - 連合戸長役場制度発足により、御野郡第十部戸長役場を洲崎村に設置し、同村および浜野村・福島村・福富村・福成村・福田村を管轄[3]。
- 1889年(明治22年)6月1日 - 町村制の施行により、第十部戸長役場管轄区域の6村が合併して村制施行し、福浜村が発足。旧村名を継承した6大字を編成し、役場を洲崎に設置[4]。
- 1896年(明治29年) - 役場を福富に移転[4]。
- 1899年(明治32年)8月1日 - 北隣にあった古鹿田村より十日市・青江・豊成を編入し、9大字となる[4]。
- 1900年(明治33年)4月1日 - 津高郡と御野郡が合併し御津郡となる。
- 1931年(昭和6年)4月1日 - 岡山市に編入。同日福浜村廃止。
合併後
編集村政時の9大字は岡山市の大字として継承されたが、その後以下のように変更された[5]。
洲崎は1963年から1976年にかけて洲崎1〜3丁目・富浜町・平福1〜2丁目・福島1丁目・福浜西町・三浜町1〜2丁目となった。
浜野は1976年に浜野1〜4丁目・新福1〜2丁目・洲崎1丁目・富浜町・豊浜町となった。
福島は1963年から1976年にかけて福島1〜4四丁目・千鳥町・並木町2丁目・平福2丁目・福吉町・松浜町・三浜町1丁目・若葉町となった。
福富は1976年に福富中1〜2丁目・福富西1〜3丁目・福富東1〜2丁目・新福1〜2丁目・洲崎1〜2丁目・富浜町・豊成3丁目・浜野4丁目となった。
福成は1963年から1977年にかけて福成1〜3丁目・浦安本町・千鳥町・南輝1丁目・福富東2丁目・福浜西町・松浜町・三浜町2丁目となった。
福田は一部が2015年に芳泉3〜4丁目となった。
青江は一部が1970年から1976年にかけて十日市西町・豊成2〜3丁目となり、残余は1998年に青江1〜6丁目となった。
豊成は一部が1976年に豊成1〜3丁目・福富西1丁目・福富西3丁目・新福1丁目・豊浜町・福田となり、残余は2013年に泉田2丁目・豊成3丁目となった。
十日市は1969年から1970年にかけて十日市東町・十日市中町・十日市西町・青江・神田町2丁目となった。
行政
編集戸長
編集- 郡区町村編制法施行後(1878年9月 - 1883年2月)
- 洲崎村:濱謙造
- 浜野村:新谷周三
- 福島村:河向彈壽郎
- 福富村:武田利総平
- 福成村:人見長四郎
- 福田村:佐藤伊興太
- 御野郡第十部戸長役場(1883年2月 - 1889年5月):虫明次郎
歴代村長
編集代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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初 | 武田利作 | 1889年(明治22年)7月7日 | 1892年(明治25年)4月21日 | |
2-3 | 中野敬三 | 1892年(明治25年)4月27日 | 1900年(明治33年)1月4日 | 病死により辞職 |
4 | 中野寿吉 | 1900年(明治33年)1月9日 | 1901年(明治34年)9月4日 | |
5 | 内田泰三郎 | 1901年(明治34年)10月25日 | 1902年(明治35年)12月9日 | 病気のため辞職 |
6-8 | 佐藤馬之丞 | 1902年(明治35年)12月27日 | 1911年(明治44年)8月17日 | |
9 | 佐藤馬之丞 | 1911年(明治44年)10月10日 | 1915年(大正4年)8月23日 | |
10- | 佐藤馬之丞 | 1915年(大正4年)10月11日 | 不詳 | |
参考文献 - 岡山県市町村合併誌 市町村編 6頁(岡山県、1960年)、[2] |
教育
編集- 福浜尋常高等小学校(現・岡山市立福浜小学校)
出身者
編集参考文献
編集- 『岡山市史 政治編』岡山市役所、1964年。
脚注
編集- ^ 1/25000岡山南部 大正14年修正・大正15.11.30発行(今昔マップ on the web)
- ^ a b 福浜村誌(福浜村、1927年)
- ^ a b 岡山県市町村合併誌 総編(岡山県、1960年)
- ^ a b c 角川日本地名大辞典 岡山県「福浜村(近代)」
- ^ 住居表示の実施状況(岡山市役所市民生活局市民生活部区政推進課)