福岡県立大川樟風高等学校
福岡県大川市にある高等学校
福岡県立大川樟風高等学校(ふくおかけんりつ おおかわしょうふうこうとうがっこう)は、福岡県大川市向島にある県立の高等学校。
福岡県立大川樟風高等学校 | |
---|---|
北緯33度12分36.3秒 東経130度22分40.7秒 / 北緯33.210083度 東経130.377972度座標: 北緯33度12分36.3秒 東経130度22分40.7秒 / 北緯33.210083度 東経130.377972度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福岡県 |
併合学校 |
福岡県立大川高等学校 福岡県立大川工業高等学校 |
校訓 | 志学・創造・貢献 |
設立年月日 | 2002年(平成14年)11月1日 |
創立記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D140221200012 |
高校コード | 40223A |
所在地 | 〒831-0005 |
福岡県大川市向島1382番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集- 歴史
- 大川市にあった福岡県立高等学校2校(大川・大川工業)が2002年(平成14年)4月に統合の上、開校。2022年(令和4年)に開校20周年を迎えた。
- 設置学科
- 全日制課程 2学科
- 定時制課程 1学科
- 普通科
- 校訓
- 「志学・創造・貢献」
- 校訓指針
-
- 樟風に集う生徒の本分は勉学にあり
- 学んで己を磨くは、樟風の伝統と誇りの為なり
- 学んで己を高めるは、人の役に立つあり
- 貢献、即ち樟風の至極の姿なり
- 校章
- 2005年(平成17年)11月1日制定。大川市の木『桐』を土台に配し、樟風生を象徴する『樟(くすのき)』が天高く茂り、永遠に実をつけていくという願いをデザイン化したものであり、背景にはスクールカラーの紫紺を配した。
- 特色
- 大川市唯一の高等学校として地域の発展に貢献できる人材育成を目指している。福岡県ICT教育推進校指定。iPadや電子黒板、プロジェクターを用いて近代的でわかりやすい授業を目指す。また、普通科生徒であっても希望があれば本来住環境システム科の生徒が取得するフォークリフト特別教育や車両系建設機械特別教育を修了することができる。
沿革
編集- 旧・福岡県立大川高等学校
- 1905年(明治38年) - 三潴郡大川町(当時)榎津尋常小学校内に、「私立淑徳女学館」が設立される。
- 1913年(大正2年) - 三潴郡大川町(当時)榎津に、「三潴郡立技芸女学校」が設立される。
- 1921年(大正10年)4月 - 県立移管により「福岡県立三潴高等女学校」に改組・改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 高等女学校としての募集を停止。学制改革により、新制中学校を併設し、高等女学校1・2年修了者のみを中学2・3年生として収容。この併設中学校は1946年(昭和21年)4月に高等女学校へ最後に入学した1年生が卒業する1949年(昭和24年)の3月までに限定して、経過措置として設置された[1]。
- 1948年(昭和23年)
- 4月 - 学制改革により、新制高等学校「福岡県立三潴女子高等学校」に改称。併設中学校が1947年(昭和22年)4月に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 7月 - 定時制課程を設置。
- 1949年(昭和24年)
- 3月 - 併設中学校を廃止。
- 8月 -「福岡県立大川高等学校」と改称。男女共学となる。
- 1950年(昭和25年)4月 - 定時制大野島分校が設置される。
- 1951年(昭和26年)10月 - 創立30周年を記念し、体育館が完成。
- 1961年(昭和36年)2月 - 鉄筋コンクリート造の新館と体育館が完成。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 定時制大野島分校を廃止。
- 2003年(平成15年)4月 - 大川高等学校としての募集を停止。
- 2005年(平成17年)3月31日 - 2002年(平成14年)4月に大川高等学校に最後に入学した生徒が卒業し、閉校。
- 旧・福岡県立大川工業高等学校
- 1921年(大正10年)4月 - 「大川町立実業補習学校」が若津と榎津に設置される。3年制の商業科および工業科を設置。
- 1924年(大正13年)2月 - 上記2校を統合の上、「大川実業学校」となる。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、「大川町立高等商工青年学校」となる。
- 1942年(昭和17年)
- 4月 - 青年学校の普通科を改組の上、三潴郡大川町(当時)向島に、「大川工業学校」が創立。
- 5月 - 定員を240名とし、3年制の建築科・木材工業科を設置の上、開校。
- 1944年(昭和19年)3月 - 定員を400名、4年制の航空機科と建築科を設置。
- 1945年(昭和20年)9月 - 終戦により、航空機科を建築工芸科に改組。
- 1946年(昭和21年)2月 - 県立移管により「福岡県立大川工業学校」となる。
- 1947年(昭和22年)4月 - 工業学校としての募集を停止。学制改革により、新制中学校を併設し、工業学校1・2年修了者のみを中学2・3年生として収容。この併設中学校は1946年(昭和21年)4月に工業学校へ最後に入学した1年生が卒業する1949年(昭和24年)の3月までに限定して、経過措置として設置された[1]
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、新制高等学校「福岡県立大川工業高等学校」と改称。全日制課程2学科(木材工芸科・建築科)を設置。定員を240名、6学級とする。
- 1949年(昭和24年)8月 - 「福岡県立筑西高等学校」に改称。
- 1953年(昭和28年)4月 - 再び「福岡県立大川工業高等学校」に改称。
- 1962年(昭和37年)- 新本館が完成。
- 1963年(昭和38年)4月 - 機械科を設置。木材工芸科を工芸科に改める。
- 1964年(昭和39年)- 教室・実習室・実習工場等が完成。
- 1967年(昭和42年)- 体育館が完成。
- 1968年(昭和43年)- 武道場・実験室等が完成。
- 1973年(昭和48年)4月 - 工芸科をインテリア科に改める。
- 1974年(昭和49年)6月 - 運動場を拡張。
- 2003年(平成15年)4月 - 大川工業高等学校としての生徒募集を停止。
- 2005年(平成17年)3月31日 - 2002年(平成14年)4月に大川工業高等学校に最後に入学した生徒が卒業し、閉校。
- 統合・福岡県立大川樟風高等学校