福井 直俊(ふくい なおとし、1904年2月15日 - 2001年4月2日[1])は、日本のピアニスト富山県上市町出身。学校法人武蔵野音楽学園名誉学園長、元東京芸術大学学長。勲二等旭日重光章1974年に受章)[1]

略歴

編集

武蔵野音楽大学創立者・福井直秋の長男として生まれる。弟に武蔵野音楽大学学長を務めた福井直弘、妹にピアニストの若尾輝子がいる[1]

東京音楽学校研究科を卒業。萩原英一レオニード・コハンスキに師事。1930年ベルリンに渡りアルトゥル・シュナーベルに師事。帰国後、新交響楽団(現:NHK交響楽団)との共演や、「ベートーベン:ソナタ・アルバム」などの校訂に携わる[1]

武蔵野音楽大学教授を経て、東京芸術大学音楽学部の教授に就任。1963年、同学部長に就任。1964年、学校法人武蔵野音楽学園の理事長に就任。1969年12月21日、東京芸術大学学長に就任。1979年12月20日まで学長職に在職[2]1980年に退官し、東京芸術大学名誉教授に就任。この間、ユネスコ・アジア文化センター理事長も務めた[1][3]

2001年4月2日午後9時、老衰のため東京都の自宅で死去。97歳没[3]

家族・親族[4]

編集

参考文献

編集

『人事興信録』42版 2003年

脚注

編集
  1. ^ a b c d e 『新撰 芸能人物事典 明治~平成』日外アソシエーツ、2010年11月11日。ISBN 978-4-8169-2283-1 
  2. ^ 東京藝術大学 | 大学紹介 | 歴代校長及び学長”. 2019年12月5日閲覧。
  3. ^ a b “福井 直俊氏死去/ピアニスト、元東京芸大学長”. 四国新聞社. (2001年4月3日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20010403000099 2019年12月5日閲覧。 
  4. ^ 人事興信録”. 2022年3月21日閲覧。