石河政朝
石河 政朝(いしこ まさとも)は、江戸時代中期の武士(旗本)。尾張藩家老石川章長の五男で、旗本の石河家を継いだ。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享3年(1686年) |
死没 | 明和2年8月2日(1765年9月16日) |
別名 | 庄九郎(通称) |
官位 | 従五位下、土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
氏族 | 石河氏 |
父母 | 父:石河章長、養父:石河政郷 |
兄弟 | 正章、鏡嶋正信、章貴、竹腰正武、政朝 |
子 | 養子:石河政武 |
経歴
編集元禄12年(1699年)閏9月27日徳川光友の菟裘小姓(隠居後の小姓)、宝永元年(1704年)8月2日尾張藩奥組。宝永2年(1705年)幕府旗本石河政郷の養嗣子となり、諱を正森から政朝と改める。享保14年(1729年)に家督を継ぎ、目付、小普請奉行を歴任後、元文3年(1738年)2月28日に江戸北町奉行に就任。公事方御定書の編纂に携わる。延享元年(1744年)6月1日の退任後、大目付を拝命する。宝暦4年(1754年)5月1日西丸小姓組番頭となり、宝暦6年(1756年)に西丸留守居に昇進する。明和2年(1765年)に80歳で死去、養子の政武が後を継いだ。