石川親康
石川 親康(いしかわ ちかやす)は、戦国時代の武将。三河国碧海郡小川(愛知県安城市)に拠った石川氏の一族。石川政康の三男。松平親忠・長親に仕えた。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 長禄2年(1458年) |
死没 | 享禄3年9月12日(1530年10月3日) |
別名 | 源三郎、左兵衛尉 |
戒名 | 憲忠院釈種道隆三 |
墓所 | 石川山養楽寺(愛知県岡崎市在家町上五反田43) |
主君 | 松平親忠→長親 |
氏族 | 石川氏 |
父母 | 石川政康 |
兄弟 | 康長、康政、親康、康頼(僧明了)、女子 |
子 | 忠輔 |
生涯
編集文安3年(1446年)、父政康は三河国碧海郡志貴荘村に下野国より移住し、小川城(現安城市小川町志茂)を築いた。文明3年(1471年)、松平信光が安祥城を畠山氏より奪い、三男親忠を城主とした後、親忠より『政康の男子一人を召されて家老となされる』旨の申し出があり、政康の命で三男親康が親忠に臣従したとされる。親康は数え14歳で親忠に仕え、翌年元服し親忠より偏諱を賜った。また、この後偏諱を家例とする旨も仰せつかった。
享禄3年9月12日(1530年10月3日)、死去。
参考文献
編集- 『新訂 寛政重修諸家譜 第3』続群書類従完成会、1981年
- 『石川家先祖覚書』
- 『石川家由来』
- 『石川家系譜』
- 『石川家譜』
- 『石川家譜難波録』