ディック・スチュアート

アメリカ合衆国の野球選手 (1932-2002)
石の指から転送)

リチャード・リー・スチュアート(Richard Lee Stuart、1932年11月7日 - 2002年12月15日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手内野手)右投げ右打ち。

ディック・スチュアート
Dick Stuart
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1932-11-07) 1932年11月7日
没年月日 (2002-12-15) 2002年12月15日(70歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
212 lb =約96.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1951年
初出場 MLB / 1958年7月10日
NPB / 1967年4月19日
最終出場 MLB / 1969年5月27日
NPB / 1968年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

愛称はドクター・ストレンジグローブ(Dr. Strangeglove)、石の指(Stonefinger)他(後述)。

経歴

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ピッツバーグ・パイレーツに入団。メキシカンリーグでのプレーを経て、1958年にメジャー初昇格を果たした[1]。パイレーツ時代の1960年には23本塁打、83打点を記録した。ポストシーズンではニューヨーク・ヤンキースとの対決となったワールドシリーズ第7戦ではビル・マゼロスキーのサヨナラ本塁打の時には、ネクスト・バッタースボックスにいた。

1961年は自身初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。最終的に35本塁打、117打点を記録した。

1963年ボストン・レッドソックスに移籍するが、この年いずれも自己最多の42本塁打、118打点を記録しアメリカンリーグ打点王に輝いた。

1964年も28本塁打、95打点を記録する。

1965年フィラデルフィア・フィリーズ1966年にはニューヨーク・メッツさらにロサンゼルス・ドジャースに移籍。

1967年に当時の大洋ホエールズに入団。MLB時代は3打席連続本塁打を記録するなど、NPB入りまでに通算227本塁打。チーム初のMLB経験選手入団で期待は大きく、NPB1年目は打率.280、33本塁打と活躍した。しかし、翌年は打撃成績が半減し、守備の怠慢も目立ったため同年で退団した。

1969年カリフォルニア・エンゼルスと契約し、MLBに復帰した。これはNPBからMLBに復帰した初の事例だった[注 1]

2002年12月15日にで死去した[2]

人物

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愛称はスチュ(Stu)[3]ドクター・ストレンジグローブ(Dr. Strangeglove)[3]ボストン・ストレンジャー(Boston Strangler)[3]石の指Stonefingers鉄のグローブを持つ男(The Man With the Iron Glove)という愛称もある[3]。「奴の指は全部親指だ」という守備の拙さに対する例えもあり、1イニング3つの普通のファーストゴロをアウトにしただけで、観客からスタンディングオベーションされたこともある[4]

NPB初打席初本塁打の相手は、こちらもプロ初先発江夏豊だった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1958 PIT 67 271 254 38 68 12 5 16 138 48 0 0 0 1 11 1 5 75 6 .268 .310 .543 .853
1959 118 450 397 64 118 15 2 27 218 78 1 1 2 7 42 7 2 86 11 .297 .362 .549 .911
1960 122 483 438 48 114 17 5 23 210 83 0 0 1 5 39 5 0 107 15 .260 .317 .479 .797
1961 138 576 532 83 160 28 8 35 309 117 0 3 1 5 34 1 4 121 22 .301 .344 .581 .925
1962 114 433 394 52 90 11 4 16 157 64 0 1 0 5 32 1 2 94 9 .228 .286 .398 .685
1963 BOS 157 659 612 81 160 25 4 42 319 118 0 0 1 1 44 2 1 144 24 .261 .312 .521 .833
1964 156 651 603 73 168 27 1 33 296 114 0 0 1 7 37 7 3 130 11 .279 .320 .491 .811
1965 PHI 149 586 538 53 126 19 1 28 231 95 1 0 0 6 39 8 3 136 10 .234 .287 .429 .716
1966 NYM 31 96 87 7 19 0 0 4 31 13 0 1 0 0 9 2 0 26 5 .218 .292 .356 .648
LAD 38 104 91 4 24 1 0 3 34 9 0 1 0 0 11 0 2 17 3 .264 .356 .374 .729
'66計 69 200 178 11 43 1 0 7 65 22 0 2 0 0 20 2 2 43 8 .242 .325 .365 .690
1967 大洋 125 474 432 62 121 18 0 33 238 79 1 1 0 1 37 4 4 100 15 .280 .342 .551 .893
1968 83 275 253 28 55 9 0 16 112 40 0 1 0 1 18 1 3 78 7 .217 .276 .443 .719
1969 CAL 22 54 51 3 8 2 0 1 13 4 0 0 0 0 3 0 0 21 2 .157 .204 .255 .459
MLB:10年 1112 4363 3997 506 1055 157 30 228 1956 743 2 7 6 37 301 34 22 957 118 .264 .316 .489 .806
NPB:2年 208 749 685 90 176 27 0 49 350 119 1 2 0 2 55 5 7 178 22 .257 .318 .511 .829

タイトル

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MLB

記録

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MLB
NPB

背番号

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  • 7(1958年 - 1965年、1966年途中 - 同年終了)
  • 17(1966年 - 同年途中)
  • 10(1967年 - 1968年)
  • 5(1969年)

脚注

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注釈

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  1. ^ ラリー・レインズ阪急ブレーブスを退団後、1955年にクリーブランド・インディアンスでプレイしているが、レインズはNPB入りする前にはMLBでのプレイ経験がなく、「MLB復帰」ではない。

出典

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  1. ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=stuart004ric
  2. ^ Time Magazine article
  3. ^ a b c d Baseball Player Nicknames” (英語). Baseball Reference. Septmber 20, 2021閲覧。
  4. ^ メジャーで活躍!でも期待外れも…プロ野球「大物外国人選手」列伝 FRIDAY DIGITAL 2020年05月09日(2020年6月14日閲覧)

関連項目

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外部リンク

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