正定県
正定県(せいてい-けん)は中華人民共和国河北省石家荘市に位置する県。滹沱河(こだか)の北岸にある。臨済宗発祥の地である臨済寺などが有名な古都で、国家歴史文化名城の一つに指定されている。
中華人民共和国 河北省 正定県 | |
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臨済寺 | |
石家荘市中の正定県の位置 | |
簡体字 | 正定 |
繁体字 | 正定 |
拼音 | Zhèngdìng |
カタカナ転写 | ヂョンディン |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 河北 |
地級市 | 石家荘市 |
行政級別 | 県 |
面積 | |
総面積 | 468 km² |
人口 | |
総人口(2004) | 44 万人 |
経済 | |
電話番号 | 0311 |
郵便番号 | 050800 |
行政区画代碼 | 130123 |
公式ウェブサイト: http://www.zd.gov.cn/ |
中国地名の変遷 | |
建置 | 秦代 |
使用状況 | 正定県 |
戦国 | 東垣邑 |
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秦 | 東垣県 |
前漢 | 真定県 |
後漢 | 真定県 |
三国 | 真定県 |
南北朝 | 真定県 |
隋 | 真定県 |
唐 | 真定県 中山県(689年) 真定県(705年) |
北宋/遼 | 真定県 |
元 | 真定県 |
明 | 真定県 |
清 | 正定県 |
中華民国 | 正定県 |
現代 | 正定県 |
歴史
編集前475年、鮮虞国が晋に滅亡させられ、晋の版図に組み込まれたが、戦国時代初期の前475年、鮮虞人により中山国が建国され、東垣邑が設置された。前296年、中山国は趙に滅ぼされ、その版図とされた。
秦朝による中国統一が達成されると東垣邑は東垣県と改編され、治所が現在の石家荘市長安区高営鎮東古城村附近に設置され、鉅鹿郡の管轄とされた。漢初は東垣県とされたが、前196年に真定県と改称され恒山郡(後に常山郡に改称)に属した。前113年(元鼎4年)、常山郡の北部に真定国が設置され、藁城県・肥累県・綿曼県と共に真定県がその管轄とされた。後漢が成立した37年(建武13年)、真定国は廃止となり真定県は常山国へと移管された。
三国時代、真定県は魏の常山郡の管轄とされ、続く晋代には常山郡治所が元氏県より真定県に移転したことより、河北中部の政治、経済、文化の中心地としての地位を確立している。
578年(宣政元年)、北周により定州及び常山郡の一部に新たに恒州を設置し、真定県を管轄するようになった。596年(開皇16年)に隋代により真定県から常山県は分割設置されたが、大業初年に常山県は廃止された。唐代も真定県が沿用された。689年(載初元年)に武則天により一時中山県と改称されたが、705年(神龍元年)に真定県に名称が戻され清初まで沿用されている。1723年(雍正元年)、真定県は正定県と改称され現在の名称が誕生している。
歴史上、真定国、恒山郡、常山郡、恒州、鎮州、真定府などが置かれてきた古都であり、河北中部の中心地であったが、近代に滹沱河南岸の石家荘の村に京広線の駅が開設されると、石家荘の経済的地位が高まり、政治経済の中心もやがて石家荘(一時、石門市と称された)へと移っていった。
逸話
編集真定の地名は漢の高祖・劉邦の逸話に由来する。高祖11年(紀元前196年)、高祖は反逆した陳豨を伐つため親征し、自らは東垣を攻略した。守城の兵卒が高祖を痛罵する。これに赫怒した高祖は強攻して城を陥とし、その兵卒を腰斬に処した。なお激昂止まぬ高祖は、地名を東垣から真定に改めたという。(『史記』巻8 高帝本紀)
行政区画
編集下部に2街道3鎮5郷を管轄する。[1]
街道弁事処・鎮・郷 | 社区・村 |
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諸福屯街道 | 諸福屯社区、固営村社区、蟠桃村社区、南聖板社区、中聖板社区、北聖板社区、戎家園社区、朱河社区、羅家荘社区、丁家荘社区 |
三里屯街道 | 三里屯社区、東関社区、西洋社区、西上沢社区、東上沢社区、呉家荘社区、大臨済社区、郭家荘社区、東臨済社区、西臨済社区 |
正定鎮 | 恒東小区社区、常山小区社区、恒州小区社区、恒山小区社区、解放街社区、大衆街社区、常勝街社区、民主街社区、車站街社区、勝利街社区、東門里社区、西門里社区、西南街社区、西関村、西門里村、西南街村、生民街村、四合街村、南関村、順城関村、東門里村、大衆街村、勝利街村、北門里村、北関村、車站街村、西北街村、太平街村、民主街村、城李荘村、城楊荘村、木廠村、太平荘村、永安村、北賈村、西邢家荘村、三角村、岸下村、教場荘村、樹林村、五里舗村、東柏棠村、西柏棠村、斜角頭村、塔元荘村、野頭村、戴家荘村、王古寺村、大孫村、新村、小孫村、戦村 |
新城舗鎮 | 新城舗村、北王荘村、小呉村、小邯村、北辛荘村、合家荘村、西咬村、中咬村、東咬村、東白荘村、西白荘村、東平楽村、馮家荘村、台上村 |
新安鎮 | 新安村、呉興村、李家荘村、柳樹科村、南王荘村、于家荘村、東権城村、西権城村、秦家荘村、北白仏村、七吉村、西慈亭村、東慈亭村、窯上村 |
南崗鎮 | 南崗村、北孫村、南早現村、北早現村、酆家荘村、小客村、東房頭村、西房頭村、東叩村、中叩村、戎家荘村、彫橋村、彫橋荘村、上水屯村、下水屯村、豊隆疃村、安谷村、平安屯村、平安村 |
曲陽橋鎮 | 曲陽橋村、上曲陽村、西叩村、東曲陽村、南曲陽村、西辛荘村、周家荘村、東里宅村、西里宅村、胡村、韓家楼村、高平村、前塔底村、後塔底村、北白店村、南白店村、邵同村、西漢村、東漢村、西河村 |
南牛郷 | 南牛村、東洋村、樹路村、侯家荘村、南永固村、北永固村、東賈村、東楊荘村、西楊荘村、河里村、曹村、木荘村、牛家荘村、東邢家荘村、塔屯村、拐角舗村 |
南楼郷 | 南楼村、北楼村、東吉村、韓家荘村、北石家荘村、巧女村、丁旺村、完民荘村、陳家荘村、良下村、東宿村、西宿村、宿村荘村、樊家荘村、廂同村、許香村、付家村、東里双村、西里双村、里双店村、孔村村、陳家疃村 |
西平楽郷 | 西平楽村、中平楽村、西杜村、中杜村、東杜村、西安豊村、東安豊村、大寨村、南化村、正民荘村 |
経済
編集交通
編集観光地
編集河北省の古都であるため県城城郭や文廟が保全されているほか、隋代に建立された隆興寺 (河北省)などの古跡が位置する。また東魏の540年(興和2年)に県城東南の滹沱河岸の臨済村に建立された臨済寺は、臨済義玄が臨済宗を興した寺院として有名である。その他、広恵寺、天寧寺、開元寺、福慶寺など東魏から唐にかけての仏教寺院の建物や跡が存在する。
出身者
編集脚注
編集- ^ “2017年统计用区划代码”. www.stats.gov.cn. 2018年8月6日閲覧。