白菊遺族会
白菊遺族会(しらぎくいぞくかい、もしくは白菊会)とは、第二次世界大戦で日本が降伏した後、連合国から戦犯とされ刑死または病没した人物の遺族会。
概要
編集1954年(昭和29年)結成。会の名称は、戦犯遺族に篤志家から贈られた白菊観音にちなんで「白菊遺族会」とつけられた[1]。
刑死者の慰霊と遺族の援護を主な活動とし、山下久子(山下奉文の妻)が初代代表、木村可縫(木村兵太郎の妻)が2代目代表を務めた。1993年(平成5年)、会員の高齢化を理由に解散した[2]。
白菊観音
編集三代目中村勝五郎の依頼により横江嘉純が製作し、戦犯遺族に贈られたブロンズの観音像。25cmほどの立ち姿で、最初は1949年(昭和24年)、前年巣鴨プリズンで刑死したA級戦犯遺族に花山信勝を通じて手渡された。のちに外地で刑死したBC級戦犯の遺族にも贈られることになり、最終的に10年の歳月をかけて2500体の観音像が贈られた[3]。
七光会
編集東條英機ら、1948年(昭和23年)12月23日に処刑されたA級戦犯7人の妻たちは、白菊遺族会に参加しつつ、さらにA級戦犯遺族のみの会として「七光会」を結成。共に法要を営み、交流した[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 伊藤隆 編、2008年、『「戦犯者」を救え 笹川良一と東京裁判〈2〉』、中央公論新社 ISBN 9784120039683
- 「戦犯者」とその家族の笹川良一宛書簡288通を収録
- 佐藤早苗、1987年、『東條勝子の生涯 "A級戦犯"の妻として』、時事通信社 ISBN 9784788787094