白川雅陳王
江戸時代前期の日本の公卿。白川家21代。高倉永孝の次男。正三位、神祇伯、非参議、贈従二位
白川 雅陳王(しらかわ まさのぶおう)は、江戸時代前期の日本の公卿。白川家21代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正20年3月20日(1592年5月1日) |
死没 | 寛文3年2月16日(1663年3月25日) |
改名 | 現光院本誉素心 |
官位 | 正三位、神祇伯、贈従二位 |
主君 | 後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇→後西天皇→霊元天皇[1] |
氏族 | 白川伯王家(花山源氏) |
父母 |
実父:高倉永孝、実母:三条西実枝の娘 養父:白川雅朝王、白川顕成王 |
兄弟 | 永慶、雅陳王、織田左京大夫室 |
妻 | 白川顕成王の娘[2] |
子 | 白川雅喬王、宥雅、品川雅直、成子女王 |
生涯
編集高倉永孝の次男として誕生。白川顕成王の跡として、白川雅朝王の養子となる。元和5年9月26日(1619年1月12日)、叙爵し、昇殿する。
正保元年12月29日(1645年1月26日)、除服宣下があった[3]。承応元年10月12日(1652年11月12日)には、前年の慶安4年正月5日(1651年2月24日)の従二位の口宣案を賜った。
寛文3年、72歳で薨去した。法号は現光院本誉素心。
官歴
編集- 元和5年9月26日(1619年1月12日)、従五位下、侍従
- 元和7年1月5日(1621年2月26日)、従五位上
- 元和8年12月28日(1623年1月28日)、神祇伯
- 寛永3年11月23日(1627年1月10日)、正五位下
- 寛永5年1月6日(1628年2月10日)、従四位下
- 寛永6年1月11日(1629年2月4日)、左近衛少将
- 寛永8年8月11日(1631年9月7日)、従四位上
- 寛永10年12月12日(1634年1月11日)、左近衛中将へ転任
- 寛永11年1月6日(1634年2月3日)、正四位下
- 寛永14年1月5日(1637年1月30日)、従三位
- 寛永19年1月5日(1642年2月4日)、正三位
- 寛永19年3月17日(1642年4月16日)、神祇伯を長男雅喬へ譲任
- 慶安4年1月5日(1651年2月24日)、従二位