疏勒県(そろく-けん、ケシケル・イェンギシェヘル、ウイグル語:قەشقەر يېڭىشەھە: 転写:Qeshqer Yéngisheher)は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区カシュガル地区に位置するカシュガル市の南に位置する。 古代西域のオアシス国家である疏勒国の地であった。古代の住民は印欧系で、インド・ヨーロッパ語族の言語を操っていたと見られる。9~10世紀より、人種と言語が次第に回鶻(ウイグル)化していった。

中華人民共和国 新疆ウイグル自治区
疏勒県
県内から望むアクト県のコングール山脈
県内から望むアクト県コングール山脈
県内から望むアクト県コングール山脈
カシュガル地区中の疏勒県の位置
カシュガル地区中の疏勒県の位置
カシュガル地区中の疏勒県の位置
簡体字 疏勒
繁体字 疏勒
拼音 Shūlè
ウイグル語 قەشقەر يېڭىشەھەر
ウイグル語ローマ字転写 Qeshqer Yéngisheher
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
自治区 新疆ウイグル
行政級別
面積
総面積 2,262.75 km²
人口
総人口(2003) 29.3 万人
経済
電話番号 0998
郵便番号 844200
行政区画代碼 653122
公式ウェブサイト http://www.shule.gov.cn/

歴史

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前漢時、疏勒の国力は強くなかった。 2世紀クシャーナ朝カニシカ1世王が仏教の伝播に万進した時期に、この地にも仏教が入った。三国時代、疏勒は莎車竭石渠沙などの十二国を統べ、亀茲于闐焉耆鄯善と共に西域の大国であった。最盛期の版図は今の新疆の喀什疏勒疏附伽師英吉沙岳普湖阿図什烏恰阿克陶塔什庫爾干などの県市に及んだ。都である疏勒城はからは迦師城と称されていた(現在地は不明)。

6世紀中葉以後、突厥の支配下に入り、毎年朝貢した。

658年、唐が西突厥阿史那賀魯の乱を平定し、疏勒を以って安西四鎮の一つとなし、安西都護府に隷属した。 疏勒王室は唐との往来が密接となった。その後、吐蕃に占領された。

以後、疏勒は主に西遷した突厥族のカルルク(葛邏禄)部と以後到来した一部のウイグル部の支配下に置かれた。

行政区画

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3鎮、12郷を管轄:

  • :スレ鎮(疏勒鎮)、ハンエリク鎮(罕南力克鎮)、ヤプチャン鎮(牙甫泉鎮)
  • :バリン郷(巴仁郷)、ヤンドゥマ郷(洋大曼郷)、ヤマンヤル郷(亜曼牙郷)、バグチ郷(巴合斉郷)、タズグン郷(塔孜洪郷)、イェンギエリク郷(英爾力克郷)、コムシェリク郷(庫木西力克郷)、タハチ郷(塔合其郷)、エルムドゥン郷(艾爾木東郷)、アラル郷(阿拉力郷)、ハラプ郷(阿拉甫郷)、イェンギアワト郷(英阿瓦提郷)

交通

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鉄道

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道路

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事件

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2015年1月12日、疏勒県内の商業地区で、爆発物を爆発させようとした容疑者6名が警察官により射殺される事件が発生[1]

出典

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