田良島 昭(たらしま あきら[1]1928年 - )は建築の教育指導者で、建築家鹿児島大学教授をへて第一工業大学名誉教授。

経歴

編集

鹿児島県生まれ。1945年鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)[2][1])卒業後、学徒動員(愛知県中島飛行機製作所半田工場)。1949年鹿児島県立工業専門学校 (旧制)建築科卒業。鹿児島大学(新制)助手(無給)。

1951年東京大学工学部建築学科研究生として丹下研究室在籍。1955年芦原義信研究所勤務。同所退職後は浅田孝南極居住居計画などに参画。その後津端修一の紹介で1958年牧野工務店(博多)勤務。1961年九州大学工学部建築学科助于。1964年鹿児島大学へ。工学部建築学科助教授、その後教授を経て[1]1985年第一工業大学に移り工学部建築学科教授就任。2002年に退職。

参考

編集
  1. ^ a b c [1]
  2. ^ のちに校舎は空襲で焼け、復旧を担当する

脚注

編集
  • 田良島昭、1989年「忘れ去られる中で」鹿児島大学
  • 田良島昭、1999年「近代化と鹿児島の建造物」かごしま文庫52、春苑堂出版
  • 田良島昭、「鹿児島の原風景 絵と俳句でたどる」