田中 藤次郎(たなか とうじろう、元治元年2月12日[1]1864年3月19日) - 明治43年(1910年5月16日[2][3])は、衆議院議員立憲政友会)、弁護士

田中藤次郎

経歴

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陸奥国津軽郡樽沢村(現在の青森市)出身。青森県師範学校を卒業し、小学校の訓導を務めた[4]。その後、訓導を辞して上京し、1886年明治19年)に明治法律学校(現在の明治大学)に入学[1]1888年(明治21年)に卒業し、代言人の資格を得て、青森に弁護士事務所を開いた[4]

1895年(明治28年)、青森県会議員に当選。さらに県参事会員や青森市会議員も歴任した。1901年(明治34年)には青森商業会議所特別会員に選出された[1]

1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。3回連続当選を果たした。

脚注

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  1. ^ a b c 『新選代議士列伝』P.193
  2. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』360頁。
  3. ^ 衆議院事務局『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』(1940年)255頁では「明治四十一年」。
  4. ^ a b 『新撰衆議院議員列伝』P.140

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。 
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。