田上嘉子
田上 嘉子(たがみ よしこ、本名 - 下絛 嘉子[1](旧姓 - 田上[2])、1922年3月12日[1][2] - 2007年1月12日[4])は、日本の女優。元子役[6]。東京都出身[1]。日本大学芸術科中退[1]。
たがみ よしこ 田上 嘉子 | |
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本名 | 下絛 嘉子[1](旧姓 - 田上[2]) |
生年月日 | 1922年3月12日 |
没年月日 | 2007年1月12日(84歳没) |
出身地 | 日本・東京都[1] |
職業 | 女優 |
ジャンル | テレビドラマ・舞台・ラジオドラマ |
配偶者 | 下條正巳[3](1943年[4] - 2004年[5]) |
著名な家族 | 下條アトム(長男)[4] |
人物
編集1934年6月、築地座を脱退し劇団創作座の創立に参加[8]。
1937年、東宝劇団入団[1]。1940年、本流新派入座[9][注釈 1]。1942年、井上演劇道場入団[1]。
その後はプレーヤーズセンター[2][10]、森の会を経て[10]、1959年9月、劇団現代座入団[1]。1962年7月に現代座を退団し、同年9月、劇団新人会に入団[1]。
舞台を中心に活動していた[2]。結婚後、ラジオの声優を活動の中心としていた時期がある[3]。
築地座・創作座時代には少女名優と謳われ[11]、『京都三条通』の加地喜代役を村山知義はテアトロの批評で「13歳だそうだが、実にしっかりしている。天才ではないかと思う」と評している[12]。足立直郎は東宝劇団時代の『土』のおつぎ役を「相当将来性がある」と称した[13]。
主な出演作品
編集映画
編集- みんなわが子(1963年)
テレビドラマ
編集- この瞳(1956年、NHK)
- 月見草(1957年、KR)
- 石となりぬる(1957年、KR)
- ここに人あり(1958年、NHK)
- 裸の町(1958年、NHK)
- 鉄腕アトム(1959年、MBS)
- 天使の部屋(1960年、NHK)
- 指名手配 第27回「黒い変質者」(1960年、NET)
- 黎明(1960年、NHK)
- 晩菊(1960年、NET)
- ヘンゼルとグレーテル(1961年、NHK)
- この光は消えず キュリー夫人(1961年、NHK)
- あすをつげる鐘 近代教育の父ペスタロッチ(1961年、NHK)
- 江戸育ち 江戸家猫八[要曖昧さ回避](1961年、NHK)
- 娘と私(1961年 - 1962年、NHK)
- おかあさん 第217回「マタニティ・マーチ」(1963年、TBS)
- 愛と死をみつめて(1964年、TBS)
- じゃまっけ(1964年、TBS)
- 嘘つき(1965年、NHK)
ラジオドラマ
編集舞台
編集- レールは唸る(1933年、東京青年俳優劇団プロット加盟準備公演) - ミイチカ[17]
- 数(1934年、劇団創作座) - 君子[12]
- 鼬(1934年、劇団創作座) - お君[12]
- 聯絡船(1934年、劇団創作座) - 映画女優の弟子[12]
- 京都三条通り(1934年、劇団創作座) - 加地喜代[12]
- 村道(1935年、劇団創作座) - 宇佐美綾子[18]
- 鼬(1935年、劇団創作座) - お咲[18]
- 猪之吉(1935年、劇団創作座) - 房子[18]
- クレオパトラ美容室(1935年、劇団創作座) - ミチ[18]
- あらし(1935年、劇団創作座) - 看護婦D[18]
- 母親(1935年、劇団創作座) - 美津子[18]
- 築地明石町(1935年、劇団創作座) - おなを[18]
- 土(1939年、東宝劇団) - おつぎ[13]
- 田植唄(1940年、東宝移動文化隊)[19]
- 橋からの眺め(1959年、劇団現代座) - ビアトリス[20]
- 愚者の死(1960年、劇団現代座) - 勝子[21]
- 月明らかに星稀なり(1962年、劇団新人会) - 老尼[22]
- トロイアの女(1963年、東大ギリシァ悲劇研究会) - アテーナ―[23]
- 戯劇春秋(1963年、劇団三期会 劇団新人会 劇団青年座 劇団同人会、劇団仲間合同公演) - 馮韻荷[24]
- さすらい(1964年、劇団新人会) - 埃太女神官[25]
参考文献
編集- 倉林誠一郎, ed (1966). 新劇年代記 戦中編. 白水社
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k 「新劇俳優名鑑」『新劇便覧』テアトロ、1965年、283頁。
- ^ a b c d e 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。
- ^ a b c 「ラジオスター結婚ロマンス集」『婦人生活』5月号、婦人生活社、1961年、232頁。
- ^ a b c d 『田上 嘉子』 - コトバンク
- ^ 『下条 正巳』 - コトバンク
- ^ a b 「フオトコント」『エスエス』八月號、サン出版社、1939年8月。
- ^ 『日本児童劇全集』《第一巻》小学館、1960年、472頁。
- ^ 伊藤整 編『現代日本戯曲選集』《第7巻》白水社、1955年、427頁。
- ^ 新劇年代記 1966, p. 403, 昭和十六年(1941年)
- ^ a b 『キネマ旬報年鑑』《昭和35年版》キネマ旬報社、1960年、418頁。
- ^ 新劇年代記 1966, p. 403, 昭和十六年(1941年)
- ^ a b c d e 新劇年代記 1966, pp. 70、77、85 - 85, 昭和九年(1934年)
- ^ a b 足立直郎「東宝劇団の躍進」『歌舞伎への情熱』高風館、1956年。
- ^ 『ラジオ文芸』11月号、宝文館、1951年、63頁。
- ^ 日本演劇協会 編「雨夜」『年刊ラジオドラマ』《第2集》宝文館、1954年、342頁。
- ^ 日本演劇協会 編『年刊ラジオドラマ』《第4集》宝文館、1956年、298頁。
- ^ 倉林誠一郎 編「昭和八年(1933年)」『新劇年代記 戦前編』白水社、1972年、533頁。
- ^ a b c d e f g 新劇年代記 1966, pp. 96 - 97、104 - 105、117、122, 昭和十年(1935年)
- ^ 松原英治 (1960). “戦時下の移動演劇”. 名古屋新劇史. 門書店. p. 68
- ^ 『芸能』1月号、芸能学会、1960年、81頁。
- ^ 『芸能』9月号、芸能学会、1960年、79頁。
- ^ 『芸能』1月号、芸能学会、1963年、78頁。
- ^ 『芸能』7月号、芸能学会、1963年、77頁。
- ^ 『芸能』10月号、芸能学会、1963年、78頁。
- ^ 田中千禾夫『田中千禾夫戯曲全集』《第7巻》白水社、1967年、343 - 345頁。