生野島
生野島(いくのしま)は、瀬戸内海芸予諸島の島。有人島である。
生野島 | |
---|---|
福浦港 | |
所在地 | 日本 広島県豊田郡大崎上島町東野 |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 芸予諸島 |
座標 | 北緯34度17分17.8秒 東経132度54分55.8秒 / 北緯34.288278度 東経132.915500度座標: 北緯34度17分17.8秒 東経132度54分55.8秒 / 北緯34.288278度 東経132.915500度 |
面積 | 2.26 km² |
プロジェクト 地形 |
地理
編集本州の竹原市中心部からの南へ約4kmに位置する島で[1]、大崎上島の北北西約0.5km[2]に位置する。この島のすぐ西が契島になる。全島域が広島県豊田郡大崎上島町大字東野。
面積2.26km2(2010年度[2])。ほとんどが山林で民家が点在している[2]。気候は瀬戸内海式気候。
2010年現在集落は1つのみで、人口26人(高齢化率70.4%)[2]、うち就労者は11人[3]。ミカン栽培が行われている[1][3]。かつて存在した自然休養村の施設群である馬取海水浴場や宿泊施設・テニスコートなどがあり、再利用含めた観光展開が考えられている[2][4]。
歴史
編集この島には遺跡・古墳群が合計21ヶ所発見されている[5]。特に、大崎上島周辺での縄文時代の遺跡はこの島のみで発見されている[6]。また弥生時代以降の複数の遺跡から製塩土器が発見されており、当時塩を作っていた形跡が残っている[5][7]。古墳では大崎上島町史跡「福浦古墳」が貴重で、円墳で箱式石棺には人骨も発掘されている[5]。
明治以降の行政区分は、1889年村制施行により東野村、1964年町制施行により東野町、2003年市町村合併により大崎上島町大字東野となっている。
1930年、東野村は昭和恐慌以降の景気対策としてこの島に農林省が持つ土地を借受し開墾、そして入居者(耕作者)を募集した。その中には足利浄圓と迦洞無坪もいた。この無坪に会いに種田山頭火は2度この島を訪れ、9句残している[8][9]。
1980年代、この島には「生野島リゾートタウン」というマリンリゾート構想が考えられ、これに1987年総合保養地域整備法(リゾート法)施行後計画された瀬戸内中央リゾート構想の一つとして整備されることになった[10]。東野町出資で第三セクター(株)マリーン生野を設立、アワビ養殖事業とリゾート施設を整備した[10]。1983年から始まったこの事業はバブル崩壊により施設維持に行き詰まり、アワビ事業も結局は頓挫し2001年に閉鎖された[11]。
-
1947年アメリカ軍撮影
交通
編集脚注
編集- ^ a b “生野島”. コトバンク. 2016年2月13日閲覧。
- ^ a b c d e 広島県 2013, p. 38.
- ^ a b 広島県 2013, p. 41.
- ^ 広島県 2013, p. 46.
- ^ a b c “豊田郡大崎上島町(旧・豊田郡大崎町,東野町,木江町を含む)” (PDF). 広島県教育委員会. 2016年2月13日閲覧。
- ^ 古瀬清秀「大崎上島諸島における製塩遺跡について : 付編 広島県製塩土器出土地地名表および主要遺跡概要<大崎上島共同学術調査報告 : 考古学班調査報告>」『内海文化研究紀要』第9巻、広島大学文学部内海文化研究施設、1981年3月、56-87頁、CRID 1390572174807953792、doi:10.15027/25390、ISSN 03863182、2024年3月15日閲覧。
- ^ “広島県の土器製塩”. 広島県教育事業団事務局. 2016年2月13日閲覧。
- ^ “竹原郷土文化研究会 会報 第26号 ”. 竹原郷土文化研究会. 2016年2月13日閲覧。
- ^ “観光・イベント”. 大崎上島町商工会. 2016年2月13日閲覧。
- ^ a b 狭田喜義「地域経済の発展と雇用・労働問題(下)」『広島経済大学研究双書 10』、広島経済大学地域経済研究所、1992年、国立国会図書館書誌ID:000002210208、2024年3月15日閲覧。
- ^ "離島からの挑戦状 ないものはない". FNSドキュメンタリー大賞. 23 October 2014. フジテレビジョン。
- ^ “町営フェリー「さざなみ」”. 大崎上島町. 2022年8月23日閲覧。
参考資料
編集- “広島県離島振興計画(平成25年度~平成34年度)” (PDF). 広島県 (2013年12月). 2016年2月13日閲覧。