生玉部足国
生玉部 足国(いくたまべ の たりくに、生没年不詳)は日本古代の奈良時代の防人。遠江国佐野郡(静岡県)の人。姓はなし[1]。姓は生壬部(みぶべ)とも記される[2]。
経歴
編集天平勝宝7歳2月6日(755年3月26日)、物部秋持・丈部真麻呂・丈部黒当・物部古麻呂らとともに坂本人上に引率されて、防人として筑紫に派遣される途中で詠んだ歌1首が『万葉集』におさめられている。
父母(ちちはは)が 殿の後(しりへ)の ももよ草 百代(ももよ)いでませ 我が来(きた)るまで[1]
訳:父母の お住まいの裏庭の ももよ草の 百代もお達者でいなされや おれが帰って来る日まで[3]
脚注
編集参考文献
編集- 『萬葉集』(六)完訳日本の古典7、小学館、1987年