遠江国(静岡県)の史生の時、天平勝宝7歳2月6日(755年3月23日)に防人部領使として、物部秋持・丈部真麻呂・丈部黒当・生玉部足国・物部古麻呂らの防人を筑紫まで引率した。その際に人上が採録した防人の歌が『万葉集』に収録されている[1]。
『正倉院文書』によると、天平勝宝末年から天平宝字にかけて、無位で造東大寺司に勤務していたことが分かっており、
行事二百九十四条、繕写公文二百七十八帳、催令作大仏殿大柱五十根、伴奉礼仏三度、遣使十度検山作物播磨国之類
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