犬丸義一
犬丸 義一(いぬまる ぎいち、1928年4月22日[1] - 2015年10月2日[1])は、日本の歴史学者。専門は日本近代史。本名・小山義一。
経歴
編集朝鮮平壌生まれ[1]。本籍・福岡県。1945年4月旧制福岡高校に進学する。1948年3月卒業後一時期福岡県の新制中学校の社会科教師となる。1949年4月東京大学に入学し、同年5月に日本共産党に入党した。1952年に東京大学文学部国史学科を卒業[2]して、同大学院に進学する。
1953年3月中国で労働者農民に日本近代史を教える仕事に就くため、静岡県焼津港から漁船(いわゆる人民艦隊)で密航して中国に渡り、中国人民大学第二分校の助教となる。1957年3月同校閉鎖後は上海・復旦大学歴史系研究生(大学院生)となる。1958年7月白山丸にて帰国。密出国のため舞鶴で帰国と同時に逮捕され、懲役3年執行猶予1年の判決を受ける。
帰国後は高校非常勤講師や執筆活動で生活する。世界経済研究所を経て1964年5月頃アジア・アフリカ研究所入所。1968年川添登(金丸一夫)と共著で『中国の文化大革命 その根源と矛盾』(青木書店)刊行。
1979年、長崎総合科学大学教授[1]。1993年、定年退職。1993年「第一次共産党史の研究」により、京都大学から文学博士を授与される[1][3]。
歴史科学協議会創立に参加[1]。マルクス主義の立場から労働運動史、日中関係史、女性史、天皇制批判など幅ひろい分野を研究した。
日本共産党史研究の第一人者として活躍したが、晩年にはかつての「論敵」であったトロツキー研究者の藤井一行(富山大学名誉教授)と「意気投合」して、藤井の研究「トロツキーと『田中上奏文』」、「『田中上奏文』は本当に偽書か?」などに協力した[4]。