桜井神社 (堺市)
大阪府堺市南区片蔵にある神社
桜井神社(さくらいじんじゃ、櫻井神社)は、大阪府堺市南区片蔵にある神社。式内社で、旧社格は府社。別称は「上神谷八幡宮」(にわだにはちまんぐう)とも。拝殿は堺市内唯一の国宝に指定されている。
桜井神社 | |
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所在地 | 大阪府堺市南区片蔵645 |
位置 | 北緯34度29分7.5秒 東経135度30分22.2秒 / 北緯34.485417度 東経135.506167度座標: 北緯34度29分7.5秒 東経135度30分22.2秒 / 北緯34.485417度 東経135.506167度 |
主祭神 |
応神天皇 仲哀天皇 神功皇后 |
社格等 |
式内社(小) 旧府社 |
創建 | 不詳 |
別名 | 上神谷八幡宮 |
例祭 | 10月第1日曜日 |
祭神
編集現在の祭神は次の3柱[1]。
歴史
編集伝承によると、この地方に住居していた桜井朝臣の一族がその祖先である武内宿禰を奉斎したのが創祀という。また推古天皇5年(597年)には八幡宮を合祀したという。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では和泉国大鳥郡に「桜井神社」と記載され、式内社に列している。また、後世に当社に合祀された山井神社・国神社(法道寺の東にあった。現在も小さな社がある)もそれぞれ式内社に列している。
平安時代には神仏習合が進み、亀遊山神宮寺が境内に建てられた。建武4年(1337年)、上神城主の上神常儀が社殿を造営している。
天正5年(1577年)、織田信長による紀州征伐の戦火を受けて拝殿以外を焼失し、社領も没収される。
天正16年(1588年)に加藤清正によって阿弥陀堂が再建されたのをかわきりに、元禄年間(1688年 - 1704年)までに復興が行われた。
慶応4年(1868年)神仏分離に際し、仏像や経典などは片蔵の金福寺に移され、阿弥陀堂は別所の法華寺へ移築された。また、後に鐘楼は神輿庫に改造されている。
1872年(明治5年)に近代社格制度において郷社に列せられた。また、1908年(明治41年)から1910年(明治43年)にかけて国神社ほか9社を合祀している[1]。
境内
編集- 本殿 - 1881年(明治14年)再建。
- 幣殿
- 中門 - 1931年(昭和6年)建立。
- 拝殿(割拝殿、国宝) - 鎌倉時代前期の建立。切妻造、本瓦葺き。寺院建築風の簡素な意匠の拝殿である。柱間は桁行(正面)5間、梁間(側面)3間。桁行5間のうち中央の間を馬道(めどう、通路の意)とし、左右を部屋とする。このような形式の拝殿を割拝殿といい、拝殿の中央が土間のように通り抜けができる。ただし、これは当初からの形式ではなく、建立当初は全面に床を張り、建物周囲には縁をめぐらせていたことが痕跡からわかる。正面は馬道部分を除いて桟唐戸(さんからと)を吊り、側面は二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)[注釈 1]とする。内部は天井を張らず、梁、垂木などの構造材をそのまま見せた「化粧屋根裏」とする。神社の拝殿は建築年代の古いものが少なく、桜井神社拝殿は鎌倉時代にさかのぼる例として貴重であるとして、国宝に指定されている(背面の向拝部分は国宝指定外)。
- 絵馬殿
- 神輿庫 - 享保16年(1731年)に鐘楼として建立されたもの。明治時代に神輿庫に改造された。
- 社務所
- 神門 - 元禄15年(1702年)再建。
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本殿・中門
摂末社
編集- 白福稲荷社 - 祭神:保食神
- 戎社
- 招魂社
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白福稲荷社
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戎社
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招魂社
祭事
編集10月第1日曜日の秋祭に「上神谷のこおどり」が奉納される。
文化財
編集国宝
編集選択無形民俗文化財(国選択)
編集- 上神谷のこおどり - 元は国神社へ奉納する踊り。1972年(昭和47年)8月5日選択。堺こおどり保存会。
大阪府指定文化財
編集現地情報
編集所在地
- 大阪府堺市南区片蔵645
交通アクセス
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 神社由緒書
- 『週刊朝日百科』「日本の国宝 35」、朝日新聞社、1997