法道寺 (堺市)
堺市にある寺院
法道寺(ほうどうじ)は、大阪府堺市南区にある高野山真言宗の寺院。山号は鉢峯山。本尊は薬師如来。鉢ヶ峯寺(はちがみねじ)とも称される。
法道寺 | |
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所在地 | 大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺401 |
位置 | 北緯34度27分50.72秒 東経135度31分3.68秒 / 北緯34.4640889度 東経135.5176889度座標: 北緯34度27分50.72秒 東経135度31分3.68秒 / 北緯34.4640889度 東経135.5176889度 |
山号 | 鉢峯山 |
院号 | 閑谷院 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 天智天皇9年(670年) |
開山 | 法道 |
別称 | 鉢ヶ峯寺 |
札所等 |
河泉二十四地蔵霊場第23番 和泉八十八ヶ所霊場第29番 |
文化財 |
多宝塔、食堂、絹本著色十六羅漢図(重要文化財) 木造阿弥陀如来坐像、木造金剛力士像2体ほか(市指定有形文化財) |
法人番号 | 4120105000978 |
歴史
編集寺伝によれば、白鳳10年(670年)に法道(空鉢)によって開基され、山号は法道が当地に鉢を納めたことに因んでいるという。
多くの支院・支坊を有し、当初は長福寺(ちょうふくじ)という名称であった。平安時代前期には空海をはじめ最澄や円仁などがこの寺に参篭したという。多くの寺領が寄進され隆盛をきわめた時期もあったが、兵火にあって衰退した。
江戸時代、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗の嫡男・長福丸(ながとみまる、後の9代将軍家重)が将軍後継となったため同じ「長福」の漢字を使うのを避けて法道寺と改められた。
幕末には7坊の塔頭があった。
境内
編集- 金堂
- 多宝塔(重要文化財) - 正平23年(1368年)建立。亀腹の上に蟇股が配置されている珍しい造りとなっている。
- 食堂(重要文化財) - 鎌倉時代後期の建立。大阪府内で現存している食堂は他には金剛寺の食堂のみである。
- 大師堂
- 南門
- 楼門
- 庫裏
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多宝塔
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食堂(じきどう)
文化財
編集重要文化財
編集堺市指定有形文化財
編集- 木造阿弥陀如来坐像[3]
- 木造金剛力士像 2体 附:吽形像胎内納入墨書木札[4] - 弘安6年(1283年)作。
- 絹本著色 阿弥陀三尊図[5] - 高麗仏画。堺市博物館寄託。
- 紙本墨書 雑阿含経 巻第三十六 - 堺市博物館寄託。
堺市指定保存樹木
編集前後の札所
編集所在地
編集- 大阪府堺市南区鉢ケ峯寺401
脚注
編集外部リンク
編集- 法道寺 堺観光ガイド
- 法道寺 OSAKA-INFO
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