物部尾輿

日本の古墳時代の豪族

物部 尾輿(もののべ の おこし)は、古墳時代6世紀半ば)の豪族安閑欽明両天皇の頃の大連物部荒山の子。子に物部大市御狩大連物部守屋太媛物部石上贄古大連などがいる。

 
物部 尾輿
物部尾輿『前賢故実』より
時代 古墳時代
生誕 不明
死没 不明
主君 安閑天皇宣化天皇欽明天皇
氏族 物部大連
父母 父:物部荒山
兄弟 奈洗(奈洗大連)[1]尾輿
弓削倭古娘・阿佐姫・加波流姫
大市御狩、守屋太媛石上贄古、今木金山若子連公、多和髪連公
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経歴

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安閑天皇元年(534年)、廬城部枳莒喩(いおきべのきこゆ)の娘が尾輿の首飾りを盗み、皇后春日山田皇女に献上した事件が発覚し、この事件とのかかわりを恐れた尾輿は、皇后に配下の部民を献上した。欽明天皇が即位した際に、大連に再任されている。欽明天皇元年(539年)、大伴金村任那4郡を百済に割譲したことを非難し、金村を失脚させて、政界から引退させた。欽明天皇13年(552年[2]聖王(聖明王)から仏像経典などが献上された時(仏教公伝)には、中臣鎌子と共に廃仏を主張し、崇仏派の蘇我稲目と対立した。

系譜

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  • 父:物部荒山
  • 母:不詳
  • 妻:阿佐姫 - 弓削倭古の娘
  • 妻:加波流姫 - 弓削倭古の娘
  • 生母不明の子女

脚注

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  1. ^ 浅井氏の先祖説あり。
  2. ^ 『日本書紀』