闘牛
西欧における闘牛
編集牛と闘牛士が戦う競技は、スペインやポルトガル、南部フランス、ラテンアメリカなどで行われており、特にスペインでは闘牛は国技とされ、盛んである。しかし近年、闘牛士が牛を槍や剣で刺していき、死に至らしめるのを見せるということに対して動物愛護的な観点から批判が強まっている。なお、日本国内では、昭和50年に、中央環境審議会において、「メキシコ闘牛の公開は、好奇的な娯楽として行われることに正当化理由はなく、闘牛場において牛を追い回し、刀槍をもって刺し、最後に殺す行為は動物愛護管理法に反する」として、その開催に反対した例がある[1][2]。
スペイン語では闘牛を「コリーダ(Corrida de toros、牛の走り、la corridaのみでも闘牛を指す)」と表す。
スペイン闘牛では、「マタドール」と呼ばれる闘牛士が活躍するが、マタドールは正闘牛士を意味し、闘牛士全体の1割しかいない。残りの9割は准闘牛士で、プロとして活躍できる闘牛士はその1割しかいない。
牛の興奮を煽るのに赤い布(ムレータ)が使われているため、牛は赤いものを見ると興奮すると思われがちであるが、牛の目は色を区別できず、実際は色でなく動きで興奮を煽っている。昔は赤ではなく、白や黄色の布が使われていたが、客席を興奮させるために赤い布が採用されている。
スペイン闘牛の歴史
編集西ゴート王国以来、中世のスペインでは円形闘技場で闘牛が行われていた記録はあるが、初期の闘牛が具体的にどのような形で行われていたのかは不明である[3]。10 - 11世紀のカスティーリャ文学などには、当時のキリスト教王国での闘牛の有り様が描かれているが、中世の闘牛は結婚式の出し物や軍事訓練などの目的で貴族が主催者となって行われた。騎乗した騎士が従士の補助を受けつつ、槍や剣で牛を倒す様を民衆に公開していた。騎馬闘牛(レホネーオ)は形式を変えつつ17世紀に最高潮を迎え、闘牛が民衆主導で行われるようになった18世紀以後には下火となったが、完全に消滅することはなかった。
また、アルフォンソ10世の時代に、ピレネー山脈からラ・リオハ地方にかけて「マタトロス」と呼ばれる職業的な牛殺しが現れるようになった[3]。屠畜を見世物とするマタトロスたちは社会の最下層と位置づけられていたが、やがて騎馬闘牛の助手として闘牛に欠かせない存在となり、闘牛が盛んになるにつれ社会的な地位も変化していった。
貴族による闘牛が退潮期に入った18世紀前半には、馬に乗り手槍(レホン)(es)を扱うレホネアドール(en)、同じく馬に乗り長槍(バラ・ラルガ)を扱うバリラルゲーロ、徒歩の闘牛士であるマタドールが共存する形で行われていたが、貴族の騎馬闘牛の衰退とともにバリラルゲーロが闘牛の花形となった[3]。バリラルゲーロは現代闘牛のピカドールようにマタドールとチームは組まず、正面から単独で牛と戦った。しかし、18世紀後半には馬の供給や費用の問題からバリラルゲーロはマタドールの補助員の役回りとなり、現代まで続く闘牛の様式が完成した[3]。
1990年代までは日本のバラエティ番組でもスペインの正統な文化として伝えられ、「勇敢なスペイン男性の象徴」というようなニュアンスで美化されるまであった。
スペイン闘牛の衰退と禁止の動き
編集大衆娯楽の中心がサッカーに移り、観客数が激減。2000年代に入り、動物愛護団体からの強い批判にもさらされ、特に2007年8月にTVE(スペイン国営テレビ)が闘牛の生放送を中止してからの衰退ぶりは激しく、予算削減もありスペインでの試合回数もかつての2/3まで落ち込んでおり、バルセロナでは唯一の闘牛場「ラ・モニュメンタル」で年数十回開催されるのみになっていた。
2007年のスペインの国勢調査では国民の3/4が「闘牛に関心がない」と回答するほど人気が低迷している。ごく一部ではあるが、かつての闘牛に代わって、向かってくる牛を曲芸師がジャンプして躱(かわ)すなど、牛を傷つけない曲芸等も行われたり、そこから発展して牛の突進をかわす美しさや技術を競う「ブル・リーピング(en:Bull-leaping)」という競技が考案されたりしている[4]。
1991年にカナリア諸島で初の「闘牛禁止法」が成立し、2010年7月28日にはスペイン本土のカタルーニャ州で初の闘牛禁止法が成立、2012年から州内で闘牛を行なうことを禁止(これに先立つ2011年にはスペイン全土でテレビ中継が終了した)、2011年9月25日にカタルーニャ最後の闘牛興行を終えている[5]。人気低迷や動物愛護の高まりのほか、独自の文化とスペインからの独立気質を持つカタルーニャ地域主義が背景にあるとみられる[6]。
日本における闘牛
編集日本では人と牛は戦わず、牛同士による格闘技、相撲、神事である。人は勢子と呼ばれる牛を補助するセコンド役である。伝統的に牛相撲、牛突き、牛の角突きなどと呼ばれ、岩手県久慈市、新潟県二十村郷(長岡市、小千谷市など)、島根県隠岐島、愛媛県宇和島市、鹿児島県徳之島、沖縄県沖縄本島(うるま市、本部町、今帰仁村、読谷村など)、石垣島[7]などで行われている。また沖縄県とうるま市は、2018年に伝統文化である闘牛を無形文化財として指定している。また、徳之島においては毎年、初場所(1月)・春場所(5月)・秋場所(10月)の年3回で6場所の「全島大会」が開催され、徳之島町・天城町・伊仙町の各町の協会が持ち回りで主催している。また、全島大会と前後した日やお盆には、牛主同士が出資して島内各地の闘牛場で闘牛大会が行われている。
1988年までは東京都八丈島でも行われていたが、現在は行われていない[8]。
以下に記述するスペインなどの闘牛とは異なり、むしろ闘犬に近く、相撲のような競技である。大相撲のような番付により牛の優劣が格付けされる場合もある。また新潟の牛の角突きでは勝負付けを行わず、神事であることや牛が傷つかないようにといった理由で引き分けにさせる[9][10]。
起源
編集起源についてはどこも明確な資料は存在せず、自然発生的なものから、神事として始まったものもあるとされる。史料上は、1178年に後白河法皇が角合せを観覧したとの記録があり、12-13世紀の『鳥獣人物戯画』にも闘牛が描かれている[13][14]。隠岐島の闘牛は承久の乱(1221年)で配流された後鳥羽法皇を慰めるために始められたとされている。
新潟県長岡市山古志地域・小千谷市で行われる牛の角突き(国の重要無形民俗文化財)は、江戸時代後期に書かれた曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』に登場しており(馬琴はこの行事を、塩沢町の商人で『北越雪譜』の著者鈴木牧之から紹介されている)、この頃には既に始まっていたのは確かである。
牛の種類
編集黒毛和牛、日本短角種がその多くを占める[15]。新潟県の闘牛では子牛の生産地が岩手の南部地方であるため日本短角種が主。「肉用牛の子牛の素質が良い物を去勢せずに闘牛用として飼育」と書かれた文献もあるが、現状、そのほとんどが当初から闘牛用として生産された子牛であり、肉用牛としての登録のなされていないものが多い(島根県隠岐は登録牛を使用、よってその供給先である四国宇和島の闘牛も登録牛が存在する)。最近では有名牛を種牛として使用した子牛も多く登場している。またホルスタイン種と黒毛和牛のF1(交雑種)は体格が良いことから(子牛値段も安いことが多い)出場することもある。過去チャンピオン牛にもF1は存在する[15]。
稽古
編集引き運動や海岸での散歩、切り株やタイヤに向かって首の鍛錬をする。また、集落ごとに夕方になると海岸などに散歩のため牛が集まるため練習試合(稽古)を行う。徳之島のドーム闘牛場にて飼育されていた牛は稽古量がずば抜けており、首の太さや技術が群を抜いていたことから、生まれ持った資質に加えて稽古の仕方によって大きく影響する。
人の役割
編集人は「勢子」と呼ばれる牛の補助役である。鼻綱で牛の体勢を調節したり、牛の傍でかけ声(ヤグイ)をかけ励ましたりする。また勝負の済んだ牛を捕まえ鼻綱を取らせるのも勢子の役割で、時には数人がかりでの大仕事となる。
その他の国の闘牛
編集イギリスでは12世紀ごろから、柵に縄や紐でつながれた雄牛と闘犬を闘わせるブル・ベイティング(en)(牛虐め。ブル・ファイティングもしくはファイティング・ブルとも)という競技が行われていた。ブルドッグ、ブルテリアなどは、そのために改良された犬種である。残酷なスポーツとして1835年には禁止された。
フランスでは、スペインに隣接する地域で闘牛が開催される。ランド県エール=シュル=ラドゥールでは闘牛祭も行われる[16]。アルルなどの南フランスではカマルグ式(fr)と呼ばれる、円形闘技場内で牛の頭に付けたリボンを鉤爪を使って闘牛士達が奪い合う闘牛が行われる。
スイスでは、Combat de Reinesという大会が開かれる。
トルコのアルトウィンにて毎年6月の第三週に闘牛が行われている[17]。
オマーンでは、牛を互いに戦わせる闘牛が有り、その様子は日本の闘牛に似ている。
コロンビアでは闘牛は人気の高い娯楽の一つであったが、首都ボゴタで闘牛用の牛の殺傷を禁じる動きを経て、2024年にコロンビアの議会は闘牛を禁止する法案を賛成多数で可決した[18]。同年7月22日ペトロ大統領が同禁止法案に署名、2027年までに全土で闘牛が禁止されることとなった[19]。
中国浙江省では、雄牛と人間のレスリングのような格闘技「摜牛」が少数民族の伝統として行われている。また、貴州省ではやはり別の少数民族が行なう日本の闘牛に似た競技[20]もある。
韓国でも、日本の闘牛に似た闘牛が実施されている。韓国においては公営競技のひとつとして賭けの対象となっている。「闘牛 (韓国)」にて詳述。
闘牛を題材とする作品
編集- 文学
- 映画
- テレビドラマ
- 音楽
脚注
編集- ^ “動物虐待等に関する対応ガイドライン案.pdf”. 環境省. 2022年2月24日閲覧。
- ^ “第1章 動物虐待等に関する基本事項”. 環境省. p. 33. 2023年9月23日閲覧。 “なお、動物虐待に相当する闘牛であるとして、中央環境審議会において、「メキシコ闘牛の公開は、好奇的な娯楽として行われることに正当化理由はなく、闘牛場において牛を追い回し、刀槍をもって刺し、最後に殺す行為は法第10条(動物を殺す場合の方法)の主旨に反する」と、その開催に反対した例がある。”
- ^ a b c d 有本紀明『闘牛:スペインの生の芸術』<講談社選書メチエ> 講談社 1996年 ISBN 4062580837 pp.66-96.
- ^ 参考動画
- ^ バルセロナで最後の闘牛、来年1月から禁止AFPBB News 2011年9月26日
- ^ カタルーニャ自治州、闘牛禁止へ スペイン本土では初AFPBB News 2010年7月29日
- ^ 平成28年度 沖縄県闘牛組合連合会年間大会及びその他イベントについて (PDF) うるま市
- ^ 鹿児島大学 桑原季雄・尾崎孝宏・西村明『東アジアにおける闘牛と「周辺ー周辺」ネットワークの形成』 (PDF) P.16
- ^ “牛の角突き”. www.city.nagaoka.niigata.jp. 新潟県長岡市. 2019年1月30日閲覧。
- ^ “越後の「牛の角突き」 神事のため全部引き分けで終わる│NEWSポストセブン”. www.news-postseven.com (2016年6月21日). 2019年1月30日閲覧。
- ^ ながおかネット・ミュージアム 『越後古志郡二十村闘牛之図』
- ^ 新潟文化物語 地域文化データベース 『越後古志郡二十村闘牛之図』
- ^ 闘牛(トウギュウ)とは コトバンク
- ^ 角合せ(つのあわせ)とは コトバンク
- ^ a b 謝花勝一『ウシ国沖縄・闘牛物語 』 おきなわ文庫、2014年3月10日
- ^ スペインの人気闘牛士、牛に角で刺されて死亡 フランス AFP(2017年6月19日)2017年6月24日閲覧
- ^ “アルトビン地方で伝統の闘牛大会、トルコ”. www.afpbb.com. 2022年11月19日閲覧。
- ^ “コロンビア議会、闘牛禁止法案を可決 承認経て27年施行へ”. 20240530閲覧。
- ^ “闘牛は動物虐待?コロンビアは禁止へ”. ニューズウィーク日本版(2024年8月6日号). CCCメディアハウス. (2024-07-30). p. 10.
- ^ 2000年の伝承文化 中国・貴州で闘牛大会(AFP、2018年)
- ^ “「トレロ・カモミロ/西六郷少年少女合唱団」の歌詞 って「イイネ!」”. www.uta-net.com. 2023年9月22日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 日本における闘牛
- 全国闘牛サミット協議会
- いわて平庭高原闘牛会
- 山古志闘牛大会
- 宇和島闘牛 宇和島市観光協会
- 闘牛 一般社団法人徳之島観光連盟
- スペインにおける闘牛
- 闘牛 (TOROS) スペイン政府観光局オフィシャルサイト(日本語)
- 第1回 「闘牛」をご存知でしょうか 濃野平(クーリエ・ジャポン)