片山 孤村(かたやま こそん、1879年8月29日 - 1933年12月18日)は、明治から昭和前期にかけての日本のドイツ文学者評論家。本名は正雄(まさお)。

片山 孤村
人物情報
生誕 片山 正雄
(1879-08-29) 1879年8月29日
日本の旗 日本山口県佐波郡八坂村(現:山口市
死没 (1933-12-18) 1933年12月18日(54歳没)
日本の旗 日本東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京帝国大学文科大学卒業
学問
研究分野 ドイツ文学
評論
研究機関 第七高等学校造士館
第三高等学校
京都帝国大学
九州帝国大学
主要な作品 『神経質の文学』(1905年)
『男女と天才』の翻訳(1907年)
『独逸文法辞典』(1916年)他
影響を受けた人物 登張竹風
影響を与えた人物 東郷茂徳
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経歴

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1897年、山口県佐波郡八坂村(現:山口市)で生まれた。山口高等学校在学中に登張竹風の影響を受けてドイツ文学を志し、東京帝国大学文科大学独文科に進んだ。1902年に卒業。

卒業後は、第七高等学校造士館教授などを務めた。1905年に「神経質の文学」を発表して評論家として注目を集め、1907年にはオットー・ワイニンゲルの『男女と天才』の翻訳、1908年に『最近獨逸文学の研究』を著してドイツ文学の紹介にも努めた。1909年から1913年にかけてドイツに留学し、帰国後はドイツ語辞書の編纂に専念した。1916年に『獨逸文法辞典』、1927年に『雙解獨和大辞典』、1929年に『雙解獨和小辞典』を刊行し、ドイツ語研究の第一人者となった。また、1921年には第三高等学校教授兼京都帝国大学文学部講師、1926年には九州帝国大学文学部教授となった。なお、青年時代の東郷茂徳が片山に師事していたことでも知られている。

1933年に死去。墓所は多磨霊園にある[1]

受賞・栄典

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家族・親族

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  • 父:片山敦助
  • 子:片山泰雄 (1910-89)はやはりドイツ語学者で立教大学教授だった。

著作

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編著書
  • 『最近独逸文学の研究』博文館 1909
  • 『伯林 都会文明及画図』博文館 1913
  • 『独逸及独逸人』時事叢書 冨山房 1914
  • 『独逸文法辞典』編. 有朋堂 1916
  • 『現代の独逸文化及文芸』文献書院 1922
  • 『現代独逸文学観』文献書院 1924
  • 『双解独和大辞典』南江堂書店 1927
  • 『双解独和小辞典』編. 南江堂 1929
  • 『袖珍獨和辭典 改訂』監修, 南江堂編輯部編纂. 南江堂 1935
  • 片山正雄遺文』九州帝国大学独逸文学会編 南江堂 1943
翻訳

参考文献

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脚注

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