(ゆう)は、漢姓のひとつ。『百家姓』の121番目。

各種表記
繁体字
簡体字
拼音 Xióng
注音符号 ㄒㄩㄥˊ
ラテン字 Xiong/Hsiung
広東語発音: Hung4
上海語発音: Yon1
台湾語白話字 Hîm
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2020年の中華人民共和国第7回全国人口調査中国語版国勢調査)に基づく姓氏統計によると中国で70番目に多い姓であり、422.99万人がいる[1][2]。一方、台湾の2018年の統計では第108位で、12,066人がいる[3]

楚の国姓

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春秋戦国時代の王の氏(姓は羋)であった。楚王家の伝説上の先祖にあたる鬻熊(いくゆう)の名にちなむという[4][5]武王(熊徹)のときに王を称した。その後の荘王春秋五覇のひとりとされる。

楚王家の子孫である義帝は、の滅亡後、項梁に迎えられて名目上の帝を名乗った。

有熊氏

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著名な人物

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楚王については、を参照のこと。

脚注

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  1. ^ 中国信息报 2022年11月11日 2版 - “百家姓”规模及其占全国总人数比重” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
  2. ^ “百家姓”人口占全国人口比重达84.55%” (中国語). 中国信息报 (2022年11月11日). 2023年2月11日閲覧。
  3. ^ 全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 281 (2018年10月). 2023年1月19日閲覧。
  4. ^ 史記』楚世家「周文王之時、季連之苗裔曰鬻熊。鬻熊子事文王、蚤卒。其子曰熊麗。熊麗生熊狂、熊狂生熊繹。熊繹当周成王之時、挙文武勤労之後嗣而封熊繹於楚蛮、封以子男之田、姓羋氏、居丹陽。楚子熊繹与魯公伯禽・衛康叔子牟・晋侯燮父・斉太公子呂伋、倶事成王。」
  5. ^ 元和姓纂』上平一東「熊、楚鬻熊之後、以王父字為氏。」