熊谷 在直(くまがい ありなお、応安3年(1370年) - 永享2年(1430年))は室町時代安芸武田氏の家臣。父は熊谷直明[1]。子に熊谷信直[1]。妻は厳島親詮の娘。官途は尾張守。通称は四郎次郎左衛門、尾張四郎[1]、二郎左衛門[1]、法号は古田(伝)一心[1]

1403年2月、在直は家督を相続。1407年には守護の安芸武田氏から安芸国矢賀村を預けられた。また山名時久より書状を頂くなどの活動が熊谷家文書に見える。

1430年に病死。跡を息子の熊谷信直が継いだ。

脚注

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  1. ^ a b c d e 今井尭ほか編 1984, p. 335.

参考文献

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  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 

関連項目

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先代
熊谷直明
安芸熊谷氏歴代当主
1403 - 1430
次代
熊谷信直