熊谷 信直(くまがい のぶなお、明徳元年(1390年) - 永享10年(1438年))は室町時代中期の安芸武田氏の家臣。父は熊谷在直[1]。子に熊谷堅直[1]山田重吉。通称は二郎三郎[1]、二郎左衛門[1]。官途は美濃守[1]

1390年に熊谷在直の嫡子として生まれ、1430年に父の死去に伴い家督を相続した。1433年武田信繁武田守広から国衛職を与えられ、実質的に安芸武田氏の配下となった。

大和永享の乱では、安芸守護職の武田信繁に従い室町幕府側として参戦。大和国の椋橋や北音羽等を転戦するが、1438年5月10日の北音羽の戦いで重傷を負い、その傷がもとで同年9月頃に死去した。

遺言で家督は長女のこらに一度継承され、その後に嫡男の堅直へと譲られた。

脚注

編集
  1. ^ a b c d e 今井尭ほか編 1984, p. 335.

参考文献

編集
  • 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多小西四郎竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQISBN 4404012403NCID BN00172373OCLC 11260668全国書誌番号:84023599 

関連項目

編集
先代
熊谷在直
安芸熊谷氏歴代当主
1430 - 1438
次代
熊谷堅直