無礙妙謙

南北朝時代の臨済宗の僧

無礙妙謙(むげ みょうけん)は、南北朝時代臨済宗

無礙妙謙
? - 応安2年/正平24年7月13日
(? - 1369年8月15日
武陵[1]
妙謙[1]
諡号 仏真禅師[1]
生地 武蔵国
宗旨 臨済宗
寺院 伊豆国清寺
高峰顕日中峰明本
弟子 天鑑存円東海総暉久庵僧可上杉憲将子)、化原曽賛耕隠曽伊大寧存清道庵曽顕[2]
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経歴・人物

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高峰顕日の室に入り、その法を継ぐ[1]。のち元へ渡り、中峰明本に師事[3]。帰国後、鎌倉の寿福寺の住持、さらに円覚寺第36世となり、如意庵を営み退居する[1]。のち上杉憲顕に招かれ伊豆国清寺の開山となる[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.605(1985)
  2. ^ 人名規範資料庫、2019年1月22日閲覧。
  3. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『無礙妙謙』 - コトバンク