滝山団地
滝山団地(たきやまだんち)は、東京都東久留米市滝山に所在する、旧日本住宅公団(現都市再生機構)が整備した公団住宅団地である。
なお本項では、滝山団地に隣接する「滝山第二団地(滝山団地第二住宅)」も、滝山団地に含めて扱う。
概要
編集建設の経緯
編集東京都心部の高度経済成長以降の住宅不足を解消するため、1955年(昭和30年)7月に日本住宅公団が設立され、東京都心から半径20~40kmの範囲に大規模団地が建設された。東久留米市においては、1959年(昭和34年)に入居開始したひばりが丘団地、1962年(昭和37年)に入居を開始した東久留米団地に続き、「小平・東村山都市計画 久留米土地区画整理事業」として、滝山団地が建設された[1][2]。
日本住宅公団は1960年代後半から徐々に分譲住宅の割合を増やしていたが、滝山団地は総戸数の3分の2が分譲住宅であり、当時これほど分譲戸数の多い団地は他になかった[3]。
滝山団地建設を含む「土地区画整理事業」は事業面積1,557,968 m2に及び[4]、事業期間には1963年(昭和38年)4月から1969年(昭和44年)10月までの6年余を要した。
また滝山団地に続いて、公社久留米西団地(下里4丁目、1969年9月 - 1971年3月建設)も竣工している[5]。なお当時、東久留米市はまだ市制施行前であり、北多摩郡久留米町であったが、町内に大規模団地が次々と建設されたことで人口を押し上げ、滝山団地の竣工翌年の1970年に市制施行して東久留米市となった。
また、ひばりが丘団地の竣工を受け、1959年には西武バスが団地への乗り入れを開始。続いて1960年代にも大規模団地の建設が続き、特に滝山団地の規模は大きかったため、当団地から各鉄道駅へのバス輸送を担当する新たな拠点が必要となり、団地完成と同年の1969年には西武バス滝山営業所が開設されるに至った。
滝山団地の竣工後、事業当時の「竣工記念碑」が滝山公園内に建碑され、2022年12月時点においても現認できる[6]。
周辺の住宅団地
編集- 東京都住宅供給公社 久留米西住宅(久留米西団地、東久留米市下里4丁目ほか)
- 東京都住宅供給公社 久留米下里住宅(下里団地、東久留米市下里7丁目ほか)
沿革
編集- 1960年(昭和35年)
- 旧日本住宅公団が用地買収に着手。この周辺は地図上では大字前沢の小字「滝山道(たきやまみち)[7](滝ノ山道[8])」及び大字下里の小字「前原」を含む地域であり、当時は広大な山林[9]であった。
- 当時の航空写真(撮影年月日 1955/10/09(昭30) 、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」)
- 当時の航空写真(撮影年月日 1956/03/10(昭31) 、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」)
- 1961年(昭和36年)
- 同年11月27日から翌年3月31日までの期間、旧日本住宅公団が下里、柳窪、前沢地域の測量実施[10]。
- 1963年(昭和38年)
- 4月、旧日本住宅公団「小平・東村山都市計画 久留米土地区画整理事業」開始。
- 1966年(昭和41年)
- 旧日本住宅公団、「土地区画整理事業」の一環として大規模団地を建設する認可を取得。
- 当時の航空写真(撮影年月日 1965/10/28(昭40)、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」)
- 当時の航空写真(撮影年月日 1966/11/03(昭41)、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」)
- 1967年度(昭和42年度)
- 「久留米住宅団地の計画」が日本都市計画学会石川奨励賞計画設計部門を受賞。
- 1968年(昭和43年)
- 当時の航空写真(撮影年月日 1968/05/09(昭43)、国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」)
- 1月、「前沢団地[注釈 1]」内の店舗用地(43区画)の分譲告知[11]。
- 7月、前沢地区に建設中の団地の名称が「滝山団地」と決まり、入居者の募集を告知(申込受付期間7月1日から5日)[12]。
- 9月1日、久留米町立第七小学校開校(仮校舎旧一小分校)。
- 同日、久留米町立西中学校開校(仮校舎旧久留米中学校内[注釈 2])。
- 11月28日、第七小学校が現在地に完成した新校舎に移転。
- 12月、滝山団地1街区入居開始。
- 12月16日、西中学校が現在地に完成した新校舎に移転。
- 1969年(昭和44年)
- 1月、滝山団地2街区入居開始。
- 1月、西武バス滝山営業所が落成、のち営業開始。
- 2月、滝山団地3街区入居開始。
- 4月、滝山団地自治会設立。
- 10月、旧日本住宅公団の「小平・東村山都市計画 久留米土地区画整理事業」竣工。
- 1970年(昭和45年)
- 滝山中央名店会発足。
- 4月、久留米町立第九小学校開校(第七小の一部学区域が変更)。
- 10月1日、市制移行。自治体名称を東久留米市へ改称。
- 同日、滝山一丁目〜七丁目の住居表示を施行。
- 11月、滝山第二団地(滝山団地第二住宅) 入居開始。
- 1975年(昭和50年)
- 4月、東久留米市立滝山小学校開校(第七小と第九小の一部学区域が変更)。
- 1987年(昭和62年)
- 4月、住宅・都市整備公団(当時)職員寮であった1街区2号棟(36戸)が賃貸住宅(滝山東) となり、入居開始。
- 2004年(平成16年)
- 3月31日、東久留米市立滝山小学校閉校(第九小学校と統合。心身障害学級は第七小学校と統合)。
団地の仕様
編集基本データ
編集- 戸数 - 3216戸(分譲2120、賃貸1096)
- 竣工当初は3180戸(分譲2120、賃貸1060)[13]
- 入居開始 - 1968年
- 住所
- 滝山団地 - 東京都東久留米市滝山六丁目
- 滝山第二団地(滝山団地第二住宅) - 東京都東久留米市滝山二、三丁目
- 小学校区 - 東久留米市立第七小学校および第九小学校
- 中学校区 - 東久留米市立西中学校および下里中学校
街区名 | 住所 | 形態 | 棟 | 戸数 | 入居 |
---|---|---|---|---|---|
滝山団地1街区 | 滝山六丁目1番地 | 賃貸 | 6-1-2号棟 (滝山東) | 36 | 1987年4月* |
6-1-3~27号棟 | 1060 | 1968年12月 | |||
- | 賃貸戸数 合計 | 1096 | |||
滝山団地2街区 | 滝山六丁目2番地 | 普通分譲** | 6-2-1~16号棟 | 640 | 1969年1月 |
滝山団地3街区 | 滝山六丁目3番地 | 特別分譲** | 6-3-1~16号棟 | 760 | 1969年2月 |
滝山第二団地 (滝山団地第二住宅) |
滝山二丁目5番地 | 分譲 | 2-5-1~10号棟 | 720 | 1970年11月 |
滝山三丁目1番地 | 3-1-1~13号棟 | ||||
- | 分譲戸数 合計 | 2120 | |||
- | 滝山団地 総戸数(賃貸・分譲合計) | 3216 |
- * 1街区2号棟は竣工当初は日本住宅公団職員寮であった
- **「普通分譲」は土地代を一時金とする方式による分譲(50〜100万円程度)、「特別分譲」は一時金の額を一律(30万円)とし当初のローン返済額を同型賃貸の家賃並みに設定した分譲
歩車分離設計
編集- 日本初の「歩行者専用道路」導入
団地内および隣接する住宅地での徹底した歩車分離による歩行者空間の確保を図るため、同地区内を南北に貫く幅10mの遊歩道が、同地区内に東西250-300mおきに全部で5路線設けられている。この遊歩道はいずれも公道(市道)として登録[14][注釈 3]された「歩行者専用道路」であり、他の公道と接する「交差点」においては歩行者専用道路[注釈 4]の道路標識が設置されている。
団地内だけに設置される「敷地内通路」ではなく、住宅地区全体に道路法に基づく「歩行者専用道路」を公共施設として導入した設計は、日本の道路設計・団地設計どちらにおいても初の試みであった[15]。この住宅団地設計は「久留米住宅団地の計画」として、1967年度(昭和42年度)日本都市計画学会石川奨励賞を受賞した[16]。
- 最長1.2kmの「歩行者専用道路」
滝山地区の歩行者専用道路は、北側の新所沢街道から南側の新青梅街道まで[注釈 5]の最長約1.2kmに及んでおり、地区内を東西に貫くバス通りとの交差部分には5つの路線バス停留所(後述「バス停留所」参照)が設置され[注釈 6]、住宅地と結ばれた設計になっている。歩行者専用道路の両側に建設される一般住宅については、門や垣根を開放的なものにして、個人住宅の庭と道路の植栽とが一体的な空間を構成するように計画された。歩行者専用道路は学校、公共施設、商業施設とも繋がり、緑の軸として機能している。少子高齢化が進む中で歩行者専用道路は高齢者や子どもにとって安全なコミュニティ空間として、現在でも重要な役割を果たしている[17]。
地名「滝山」の由来
編集滝山団地の「滝山」の地名は、当該団地を含む地域・区域において旧日本住宅公団が土地区画整理事業を行った際に、旧北多摩郡久留米町(現:東久留米市)により「滝山」(1丁目 - 7丁目)の町名が付されたものである。地名として初めて「滝山」の名が付されたのは1969年(昭和44年)9月3日、「久留米土地区画整理事業」実施地区内の土地の換地処分によるものである[18][注釈 7]。また、住居表示として「滝山」の地名が付されたのは、東久留米市の市制施行と同日の1970年(昭和45年)10月1日、住居表示法に基づき、旧久留米町内の小金井街道から西側の地域において実施された、地番から住居表示への市内では4回目の変更によるものである。
当該地域は、旧久留米村が成立する以前の「前沢村」および「下里村」に含まれる地域に相当し、その後に旧村合併により成立した旧久留米村においては、大字を付した「大字前沢」「大字下里」と呼称されていた。この大字前沢の中の小字に、かつて「滝山道 (みち) 」と称される地域があった[19][20]。現在の小金井街道と所沢街道とが交わる前沢交差点より所沢街道沿い西方に位置する、現在の滝山1丁目から八幡町2丁目周辺地域に相当し、この付近(現在の東久留米市八幡町2丁目10-10)には旧「成蹊学校」(のちの久留米小学校西分校、昭和43年廃校)および村役場が設置されていた。なお、この旧「成蹊学校」は、東京都武蔵野市に所在する成蹊学園とは無関係[21]である。
上記地域が「滝山道」と呼称されたことに関連して、東久留米市教育委員会発行の『くるめの文化財 第6号』の中で「前沢宿から八幡神社前を通り、所沢街道を抜け、金塚[注釈 8]、小平方面へと続く道の、金塚付近[注釈 8]より南下する道」[24]のことを、かつては「滝山道」と称されていたと説明されている[22]。この道の名の由来は、現在の八王子市滝山町にかつてあった「旧滝山城」及び、その支城といわれる現在の所沢市本郷に位置する「滝の城」(本郷城)の二つの城をつなぐ旧道を意味していたとみられる。
また、旧久留米村のほかに旧清瀬村や旧保谷村などの複数の北多摩の周辺自治体においても、地名の傾向に「布田道西」「府中道西」「所澤道東/西」「東京道」「往還北/南」「大山道東/西」といった「(地名)道」の例が多く確認されており[25][26]、これらの例の多くが、付近の街道の先に当該地が位置されることにちなむ命名であることから、「滝山道」についても「旧滝山城」を含む現在の八王子市滝山町周辺にちなんだ地名と解されている。
著しい高齢化
編集他の団地でもよく見られるように、竣工当時の住宅取得層にあたる年齢層が突出して多いという人口構造である。そのため、竣工から約50年を経た現在では、周辺地域と比較して突出して高齢化が著しい。
年次 | 地区 | 滝山二丁目 | 滝山三丁目 | 滝山六丁目 | 東久留米市(参考) |
---|---|---|---|---|---|
2010年 | 総人口 | 757人 | 1,313人 | 4,811人 | 116,546人 |
高齢化率 | 40.3% | 37.5% | 37.0% | 23.5% | |
2015年 | 総人口 | 700人 | 1,247人 | 4,395人 | 116,632人 |
高齢化率 | 46.0% | 39.4% | 46.9% | 26.9% | |
2020年 | 総人口 | 623人 | 1,196人 | 4,038人 | 115,271人 |
高齢化率 | 49.8% | 39.6% | 50.5% | 28.4% |
※総人口には年齢不詳を含む
滝山あんしんつながりの家
編集滝山団地居住者の高齢化への対策として、市が策定した「東久留米市 都市計画マスタープランでは「高齢者が安心して住み続けられる住環境の整備」を掲げている[27]。
2012年には、「少子高齢社会の暮らしの支援」と「安全・安心の環境づくり」を目的とした実践的な研究「滝山団地プロジェクト」が、独立行政法人都市再生機構 (UR) 、滝山団地自治会、日本社会事業大学の連携により実施された。このプロジェクトの成果のひとつに、滝山団地内の既存集会所を改修して作られた「滝山あんしんつながりの家」がある。「滝山あんしんつながりの家」は、見守り・共助・多世代交流などを目的とした「コミュニティづくりの拠点」として運営されている[28]。
行事・イベント
編集- 滝山・前沢みんなの夏祭り
交通
編集鉄道
編集滝山団地地区を経由もしくは終点とする路線バスが発着する鉄道は、以下の3路線の5つの駅となる。
バス
編集滝山団地地区を経由するバスは西武バスが運行しており、滝山営業所(一部系統は小平営業所が担当)が担当する。
- バス停留所
- 滝山営業所(※)(始発、一部路線を除く) - Google Maps – 滝山営業所(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山団地 - Google Maps – 滝山団地(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山五丁目 - Google Maps – 滝山五丁目(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 団地センター - Google Maps – 団地センター(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山三丁目 - Google Maps – 滝山三丁目(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山団地入口 - Google Maps – 滝山団地入口(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 滝山団地中央(※) - Google Maps – 滝山団地中央(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- センター北(※) - Google Maps – センター北(バス) (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc.
- 太文字は当初から設計された停留所。(※)は新規バス路線の設置等により追加設置された停留所。
- バス路線図
滝山団地付近を舞台とする作品
編集- 映画
- テレビドラマ
- テレビドラマ『日曜の夜ぐらいは…』(2023年4月-7月放送、全10話)
- テレビドラマ『時をかけるな、恋人たち』(2023年10月- 放送、第1話・第3話・第7話・第8話)
- 滝山団地内の遊歩道・桜並木・小公園等で撮影された。ロケーション協力として「滝山団地」のクレジットあり。
- テレビドラマ『おかしな刑事』(2024年1月6日)
- 滝山団地「6-3街区」内の西集会所向かいの事務室で撮影された。ロケーション協力として「滝山団地」のクレジットあり。
- テレビドラマ『団地のふたり』(2024年9月1日 - 、全10回)[37]
- 滝山団地内の遊歩道・桜並木・小公園等で撮影された。
- ウェブCM『櫻坂46 新メンバーオーディション』(2024年8月公開、映像 - YouTube)[38]
- 桜並木、小公園等のシーンを撮影。
- 書籍
- 原武史『滝山コミューン一九七四』
- 著者が滝山団地で暮らした小学生時代を基に描いた回顧ノンフィクション作品(単行本 ISBN 978-4062139397 /文庫版 ISBN 978-4062766548)。
- 原武史『空間と政治(2022)』(第14回「清瀬/ひばりが丘団地/滝山団地」)[39]
- 放送大学の授業の中で滝山団地を取り上げた回が放送された。
脚注
編集注釈
編集- ^ 原文ママ。現在の滝山団地を意味する。
- ^ 当時の久留米中学校の所在地は現在の東久留米郵便局の所在地であった。
- ^ 一部の6丁目1番地の団地区域内の「歩行者専用道路」は規制標識は設置されているが、2022年3月時点で市道として登録されていない「遊歩道」である。この団地内「遊歩道」に直結する北側および南側の「遊歩道」は、市道として登録されている「歩行者専用道路」である。
- ^ 当該「遊歩道」に設置されている道路標識は規制標識「歩行者専用 (325の4)」および補助標識の「自転車を除く」であり、自転車も徐行による通行が可能である。一方、交差する道路の歩道部分に設置されている道路標識は、補助標識「歩行者優先」を付けた「自転車及び歩行者専用 (325の3)」であり、取り扱いが異なる。
- ^ 滝山6丁目2-3番地を通過する遊歩道については、南側の端が東久留米市と小平市の市境で、北側の端が同地区内の整備と同時期に施工・設立された東久留米市立第七小学校および隣接する白山公園である。
- ^ 遊歩道と交差する新所沢街道の3か所の近辺には、のちに新設されたバス路線の停留所が追加設置されており、これらを含めると、遊歩道との交差部に設置されているバス停留所は全部で8つである。
- ^ 「久留米土地区画整理事業」実施地区内の土地の換地処分により、旧地名の前沢4 - 5丁目の一部、下里2 - 3丁目の一部、八幡町3丁目の一部が、1969年9月3日付で滝山1 - 7丁目に変更となった。
- ^ a b 資料文中の「金塚(かなづか)」は庚申塚(庚塚、かのえづか)からの転訛で、現在の下里2丁目付近の所沢街道沿いの地域を指す。この「金塚」には、かつて「ゴリゴリ馬道」と呼ばれた道標を兼ねた馬頭観音塔が建てられており、石塔には「下里邑中」の文字のほか、4つの地(板橋・八王子・四谷・川越)との距離がいずれも「5里」相当であることが刻まれていた[22][23]。この「馬頭観音塔」は大円寺(東久留米市小山)の境内に現在は移設されている。
出典
編集- ^ 財団法人たましん地域文化財団 著『多摩のあゆみ 第100号 特集 二〇世紀の多摩』p.88 - 90、新潮社、2000年。
- ^ 久留米町教育委員会 著『くるめ』p.52、1970年。
- ^ 原武史 著『団地の空間政治学』p.235、NHK出版、2012年。
- ^ 小平東村山都市計画『久留米土地区画整理事業の概要』(日本住宅公団)記載の『土地の種目別整理施行前後対照表』の地籍合計1,557,968 m2が事業面積に当たる。
- ^ JKK住宅 久留米西 東京都住宅供給公社、2024年9月28日閲覧。
- ^ 滝山公園内に「竣工記念碑」が設置されている。久留米土地区画整理事業 竣工記念碑(日本住宅公団) - Google マップ
- ^ 今尾恵介『地図でたどる多摩の街道 30市町村をつなぐ道』けやき出版、2015年
- ^ 国際地学協会発行「清瀬・久留米町全図」(昭和44年度版)に当該地区の記載あり
- ^ 根岸正 監修『目で見る 西東京・東久留米・清瀬の100年』112頁、郷土出版社、2003年
- ^ 久留米町報(第16号、昭和37年1月1日 発行、久留米町役場)掲載記事「宅地開発計画進む」より
- ^ 広報くるめ(第89号、昭和43年1月1日 発行、久留米町役場)掲載記事「前沢団地の店舗用地を分譲」より
- ^ 広報くるめ(昭和43年7月1日 発行、久留米町役場)掲載記事「滝山団地の入居者を募集」より
- ^ 原武史『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』新潮社、2012年。
- ^ “市道路線認定網図”. 東久留米市 (令和4年6月28日). 2022年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月7日閲覧。
- ^ 今野博『まちづくりと歩行空間』(鹿島出版会、1980年)より「昭和41(1966)年、都下、東久留米市、小平市にまたがって施行された久留米地区土地区画整理事業(日本住宅公団施行)において、初めて公共施設として歩行者専用道路を導入して以来、歩行者専用道路は、数年を経ずして道路法上の地位を獲得し、これ以後、新市街地の開発にあたっては、次々と計画・建設されるようになった。」
- ^ “受賞作品一覧”. 日本都市計画学会. 2016年5月8日閲覧。
- ^ 公益社団法人日本都市計画学会編『60プロジェクトによむ日本の都市づくり』p.24
- ^ 久留米町『広報くるめ』1969年(昭和44年)10月1日号より。
- ^ 「東京府市区町村便覧」132ページ(東京地方改良協会(1939年、昭和14年). “東京府市区町村便覧 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. 2022年12月26日閲覧。)に掲載されている北多摩郡久留米村の大字「
前澤 」の小字の一つに「瀧山道 」の地名の記載が確認できる。 - ^ 「滝山道」を含む小字については、今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)」で公開されている古地図
「1/20000 膝折/明治39年測図 42年製版」 や 「1/25000 吉祥寺/昭和41年改測 昭和42年10.10発行」などで確認できる。 - ^ “東久留米の成蹊学校は吉祥寺の成蹊(学園)の関連施設なのか?”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2022年6月9日閲覧。
- ^ a b 東久留米市教育委員会「くるめの文化財」第6号(平成2年3月)“くるめの文化財」発行一覧”. 2022年6月9日閲覧。
- ^ “有形民俗文化財”. 東久留米市. 2023年11月22日閲覧。
- ^ 具体的には、東京都道4号線(所沢街道)と東京都道234号が交わる交差点から東京都道4号線バイパス道路(新所沢街道)方面へ南下する市道を「滝山道」と称していたと解されている。
- ^ 「東京府市区町村便覧」132ページほか(東京地方改良協会 編、国立国会図書館オンライン所蔵) 2022年6月9日閲覧。
- ^ このような「地名+"道"」の名残は、周辺地域の電信柱に付されている「表示板」で今も確認できる。一例として、東久留米市滝山周辺の電信柱の「NTT表示板」に『滝山道幹』の表記(google mapでの一例) や 『布田道幹』の表記(google mapでの一例) が現存しており、Google ストリートビューでも確認できる。
- ^ 東久留米市都市計画部都市計画課「東久留米市 都市計画マスタープラン」p.124、東久留米市、2012年。
- ^ 児玉桂子「超高齢団地における安心居住の支援方法に関する実践研究」日本社会事業大学、2013年。
- ^ 第43回 滝山・前沢みんなの夏祭り(令和元年8月24日~8月25日開催) 東久留米市
- ^ 東京花祭り 花祭りの里 東栄町御園の指導を受けて(web.archive.org)
- ^ 愛知の祭り 東京で受け継ぎ30年…東久留米「花祭り」 住民に一体感 : 読売新聞オンライン(web.archive.org)
- ^ 「奥三河・花祭研修──伝統の継承と地域の共生、そして未来へ 研修」報告 | イベント報告 | IHS 東京大学 多文化共生・統合人間学プログラム(web.archive.org)
- ^ “5月21日公開の映画「海よりもまだ深く」は滝山団地(分譲)内でも撮影が行われました”. 東久留米市. 2021年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月31日閲覧。
- ^ “寺島しのぶ、映画『あちらにいる鬼』“瀬戸内寂聴さん役”で丸刈りに、ロケ地でみせた近づきがたい女優オーラ | 週刊女性PRIME”. 2022年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月29日閲覧。
- ^ 当団地がロケ地になった「あちらにいる鬼」が11月11日(金)に全国ロードショーを開始します。 滝山住宅管理組合
- ^
- 「日曜の夜ぐらいは…」第9話 1分PR、YouTube
- 【公式】『日曜の夜ぐらいは...』【ABCテレビ・テレビ朝日系全国ネット】(@nichigura_abc)、Instagram
- 【公式】『日曜の夜ぐらいは...』【ABCテレビ・テレビ朝日系全国ネット】(@nichigura_abc)、Instagram
- 第4話シーンの一部 【公式】ドラマ『日曜の夜ぐらいは...』【ABCテレビ・テレビ朝日系全国ネット】、Twitter。
- ^
- 「団地のふたり」『NHK 日本放送協会』。
- 「動画 - 団地のふたり」『NHK 日本放送協会』。
- 「[団地のふたり] 小泉今日子×小林聡美の名コンビで送る、温かくユーモラスな友情の物語」『YouTube』NHK。
- ^
- 【君ガ咲ク。】櫻坂46 新メンバーオーディションCM - YouTube
- 『櫻坂46 新メンバーオーディション』。2024年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ “シラバス「空間と政治 ('22) 」”. 放送大学. 2023年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月2日閲覧。
参考資料
編集滝山団地地区の開発当時の資料が掲載されている。
- UR都市機構 ニュータウン事業アーカイブ
公団住宅供給のための都市整備『久留米≪東京都東久留米≫』 - 梁瀬範彦による著作
関連項目
編集外部リンク
編集- 滝山団地 住棟配置図(滝山6-1、UR管理地区)
- UR賃貸住宅 関東エリア | 滝山(滝山6-1)
- UR賃貸住宅 関東エリア | 滝山東(滝山6-1)
- 特集 ミクストコニュニティ最前線3 Café 東京 | UR都市機構
- 「滝山あんしんつながりの家」内の「ダイニングカフェ滝山」「酒処多来山(毎月第3土曜 夜)」の紹介記事
- 滝山住宅管理組合(滝山6-2、滝山6-3)
- 滝山団地分譲住宅(東京都東久留米市滝山6丁目2,3番地)の敷地や共有物を管理する団地管理組合
- 滝山団地第二住宅管理組合(国税庁 法人番号検索サイト)(滝山2-5、滝山3-1)
- 分譲住宅「滝山第二団地(滝山団地第二住宅) 」(滝山2丁目5番地,滝山3丁目1番地)の敷地や共有物を管理する団地管理組合
- 日本住宅公団 滝山団地(たきやまだんち)
- 団地ファンサイト「公団ウォーカー」 内のweb紹介記事