源興範
源 興範(みなもと の おきのり)は、平安時代前期の皇族・貴族。仁明天皇の第四皇子、弾正尹・人康親王の子。官位は従四位上・摂津守。初め興範王を称した。
時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 興範王→源興範 |
官位 | 従四位上、摂津守 |
主君 | 陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 仁明源氏 |
父母 | 父:人康親王、母:不詳 |
兄弟 | 興基、興範、興扶、藤原基経室、平惟範室 |
妻 | 不詳 |
経歴
編集貞観19年(877年)陽成天皇の即位に伴う叙位に際して、二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙される。のち丹波権頭を経て、元慶6年(882年)には先の元慶4年(880年)に臣籍降下していた長兄・興範に続いて、弟・興扶王と共に源朝臣姓を与えられて臣籍降下する。
光孝朝において元慶8年(884年)従四位上に叙せられ、仁和2年(886年)丹波権守に再任される。その後、時期は不明ながら摂津守も務めた。
官歴
編集『日本三代実録』による。
脚注
編集- ^ 『尊卑分脈』