湯河元威
日本の農商務官僚、教育者
湯河 元威(ゆかわ もとたけ、1897年(明治30年)5月18日 - 1958年(昭和33年)8月8日)は、日本の農商務官僚、教育者である。
主たる経歴
編集東京府神田区岩本町(現 千代田区)にて、逓信官僚湯河元臣の長男として誕生[1]。東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)、東京帝国大学(現東京大学)法学部法律学科(仏法)を卒業[1]後、農商務省に入り、大臣秘書官、勧業課長、農政課長、官房文書課長、東京営林局長、興亜院華北連絡部第二局長などを歴任。1940年、農林省米穀局長に就任。 1941年、食糧管理局長官に就任 。1945年、農商次官に就任するも同年退官した。
1946年、東京都次長となるも同年退任し、同年11月農林中央金庫(農林中金)第6代理事長となる[1]。1955年、協同組合短期大学(1973年廃止)の学校法人理事長に就任。1956年に農林中央金理事長を退任した。
栄典
編集- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 正田浩由「日中戦争期興亜院発足前の華北における農林官僚湯河元威の活動(1)(2・完)」『早稲田政治公法研究』第102号、第103号、2013年、所収。
関連項目
編集外部リンク
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