湊川誠隆
湊川 誠隆(みなとがわ まさたか、1980年5月22日[1] - )は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、ファッションデザイナー 、YouTuber。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
生年月日 | 1980年5月22日(44歳) |
身長 体重 |
174 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 二塁手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト8巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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湊川 誠隆 | |
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YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2019年12月21日 - |
ジャンル | 野球 |
登録者数 | 11,600人 |
総再生回数 | 2,440,274 回 |
チャンネル登録者数・総再生回数は 2020年12月2日時点。 |
来歴・人物
編集プロ入り前
編集名古屋市立貴船小学校、名古屋市立高針台中学校を経て東邦高等学校に進学した[2]。高校3年生時に県大会決勝で愛工大名電に敗れ、高校3年間では春・夏両方の甲子園出場は果たせなかった。後にプロでチームメイトになった朝倉健太は高校の1年後輩である[2]。
高校卒業後は慶應義塾大学へ進学し[2]、3年秋と4年春で六大学野球ベストナインに選ばれる。リーグ戦通算48試合出場、164打数41安打、打率.250、0本塁打、14打点。横浜DeNAベイスターズの長田秀一郎とフリーアナウンサーの田中大貴は大学の同期である。
中日時代
編集2002年度のNPBドラフト会議で地元球団の中日ドラゴンズから8巡目で指名を受け、入団した[2]。入団当時は身長174 cm、体重70 kgの体格で、中日では珍しい慶應義塾大学出身の選手とされており、また下位指名ながら守備・走塁は十分プロレベルに達していると評されていた[2]。背番号は2002年シーズンまで井端弘和(2003年より「6」に変更)が着用していた48で、本人は自身と同じ小柄な体格の井端を目標の選手としており、また朝倉が投げる試合で活躍することを夢見ていた[2]。入団当時の監督である山田久志からは、打撃を鍛えれば早期に一軍デビューできるだろうと評価されていた[2]。
プロ1年目の2003年は一軍(セントラル・リーグ)公式戦では出場機会はなく[3]、二軍(ウエスタン・リーグ)では70試合に出場して102打席、91打数[4]、13得点[3]、20安打、3二塁打、0三塁打、0本塁打、1打点、1盗塁、7四死球、14三振、4犠打飛、打率.220の成績だった[4]。本人は当時、一軍定着への課題として出塁率の向上を挙げていた[3]。またファンブックでは地元・東邦高校出身であることに加え、爽やかなルックスからファンの心をつかめるのではないかと期待をかけられていた[3]。
監督が落合博満に交代した2004年も一軍出場機会はなく、二軍では48試合出場、32打席、30打数、6安打、0二塁打、0三塁打、0本塁打、1打点、5盗塁、5三振、1犠打飛、1四死球、打率.200という成績だった[5]。同年10月に戦力外通告を言い渡され、12月2日付で自由契約となる[6]。12球団合同トライアウトを受験したが、NPB球団への移籍は実現できなかった。
中日退団後
編集2005年にはイタリアのセリエA・レッジオ・エミリアに入団[1]。
2007年にイタリアから帰国。中日の先輩格でもある川又米利が監督を務める社会人クラブチームNAGOYA23コーチ兼選手に就任[1]。同年秋にはファッションブランド「MASSIMONTE(マッシモンテ。イタリア語で『山の頂点』の意味)」を立ち上げた。[1][7]2013年には栄にセレクトショップ「NEXT THING」をオープンし、現在もデザイナー兼実業家として活動している[7]。
2010年、FM AICHIの番組『ターザン山下の野球やろうぜ!』にベースボールアドバイザーとして出演。
2012年からは中京テレビ (CTV) のドラゴンズ応援番組『スポーツスタジアム晴』のドラゴンズ担当コメンテーターに就任。また、川又の中日コーチへの復帰に伴い、NAGOYA23の選手兼任監督に就任。2013年からチーム名を「マッシモンテベースボールクラブ」に変更した。なお、マッシモンテベースボールクラブは2014年6月4日付けで、活動を休止した。
2014年、社会人サッカークラブのヴィアティン三重が運営する野球塾「ヴィアティンベースボールクラブ」のコーチに就任[8]。
2016年から2021年まで中日ドラゴンズジュニアチームの監督を務めている[9]ほか、同じくジュニアチームのコーチで、マッシモンテでの同僚だった酒井大輔とともに名東区の野球塾「BE-ZONE」での指導にもあたっている[10]。ドラゴンズベースボールアカデミー屋内練習場校のコーチも務めている[11]。
2019年末にはYouTubeチャンネル『湊川誠隆 Home Team Pride』を開設。親交のあるゲストとのトーク動画を投稿していく方針で、2020年4月現在、福留孝介、浅尾拓也、山井大介、大島洋平、石川昂弥の父親、アナウンサーの田中大貴らをゲストに招いた動画が投稿されている。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 48 (2003年 ‐ 2004年)
関連情報
編集出演番組
編集- 『スポーツスタジアム晴』(中京テレビ、不定期、コメンテーター)
脚注
編集- ^ a b c d “湊川誠隆が運営するサイト massimonte プロフィール”. 2012年9月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g 中日スポーツ、中日新聞出版開発局、中日新聞フォトサービス、大広(企画制作・協力) 編『中日ドラゴンズ2003ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日新聞社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2003年3月5日、89頁。ISBN 978-4806204589。 NCID BN1330555X。
- ^ a b c d 中日スポーツ、中日新聞出版開発局、中日新聞フォトサービス、大広(企画制作・協力) 編『中日ドラゴンズ2004ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日新聞社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2004年3月23日、81頁。ISBN 978-4806204749。
- ^ a b 中日スポーツ、中日新聞出版開発局、中日新聞フォトサービス、大広(企画制作・協力) 編『中日ドラゴンズ2004ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日新聞社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2004年3月23日、125頁。ISBN 978-4806204749。
- ^ 中日スポーツ、中日新聞出版開発局、中日新聞フォトサービス、大広(企画制作・協力) 編『中日ドラゴンズ2005ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)、中日新聞社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、2005年3月4日、129頁。ISBN 978-4806204961。
- ^ 「自由契約選手 | 2004年度公示」『NPB.jp』日本野球機構、2004年12月2日。2025年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月2日閲覧。
- ^ a b “元中日・湊川誠隆さん グッズ製作で才能開花した異色のデザイナー”. 東スポWeb. (2018年6月9日) 2020年2月10日閲覧。
- ^ 【お知らせ】ヴィアティンベースボールクラブ(野球塾)
- ^ “NPB12球団ジュニアトーナメント2020 ドラゴンズジュニア 選手プロフィール”. 中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト. ドラゴンズジュニアベースボール. 2020年10月19日閲覧。
- ^ “指導員の紹介”. BE ZONE. 2020年2月10日閲覧。
- ^ “DBA ジュニア・コーチ紹介”. NPO法人 ドラゴンズベースボールアカデミー. 2020年12月22日閲覧。
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- Masataka Minatogawa (@m.minatogawa) - Instagram
- Masataka Minatogawa (100005713991952) - Facebook
- 湊川誠隆 Home Team Pride - YouTubeチャンネル