清水圭・和泉修

日本のお笑いコンビ(1986-2001)

清水圭・和泉修(しみずけい・いずみしゅう)は、かつて吉本興業に所属していたお笑いコンビ。略称は圭・修[1]

清水圭・和泉修
メンバー 清水圭
和泉修
結成年 1986年 
解散年 2001年 
事務所 吉本興業
活動時期 1986年 - 1993年
出会い 同志社大学の先輩・後輩
旧コンビ名 圭太・修吉
現在の活動状況 解散
芸種 漫才コント
同期 ボブキャッツ
どんきほ〜て
受賞歴
第7回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール福笑い大賞
テンプレートを表示

メンバー

編集
清水圭
本名:清水 圭太(1961年6月24日 - )
京都府京都市出身。
和泉修
本名:釘田 修吉(1962年6月14日 - )
大阪府泉南郡出身。

略歴

編集

1986年同志社大学の先輩であった清水が後輩であった和泉を誘いコンビを結成し、「圭太・修吉」の名で同年7月23日今宮戎で開催されている第7回今宮子供えびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞に輝き、その後コンビ名を「清水圭・和泉修」(以下、圭・修)に改名する。同年10月1日から1ヶ月間、なんば花月上席の「フレッシュコーナー」(ポテトフライヤンキースどんきほ〜てと共に出演)で劇場デビューする。

高学歴・長身・体育会系でルックスもよく、デビューから短期間でダウンタウンに匹敵する女性人気を得る。デビュー当時はとんねるずがブレイク真っ最中で、細田昌志は当時の圭・修を「“吉本版とんねるず”として売り出された」と評している[2]

1987年夏には早くもコンビで東京進出するが、この際はレギュラー番組の終了により程なくして撤退した[2]

1993年、清水が単独で東京へ再進出。コンビとしては活動休止・自然消滅状態になり、日本テレビ系列局で放送された「BREAK!」やMBSラジオの「圭修のワンダフルナイト」のレギュラー番組を最後にコンビでの活動はなくなった。

2001年には和泉が「M-1グランプリ」に参戦をするために高山トモヒロと共に「ケツカッチン」を結成し、これに伴い圭・修は正式にコンビ解散となった。

2016年に清水がトークライブを開催した際、「サプライズで圭・修でやらへんか」と相方だった和泉に電話で打診したが、ライブが急遽決定したこともあって「やりたいけど、どうしてもスケジュールが合わへん。圭ちゃんごめんな」と修の都合が合わなかったことを話すなど、その後も交流はあった。そのライブでは、放送作家となった後輩(元やるじゃねぇかーず・浦井)と圭・修時代の漫才を披露した[3]

両名とも、解散後も引き続き吉本興業に所属していたが、2022年に清水が芸能界から引退するため[4]、2024年に和泉が政治活動・健康法の啓蒙に専念するため[5]、それぞれ退社している。

出演

編集

レギュラー番組

編集

ラジオ番組

編集

イベント

編集

シングル

編集
  • ただもんDay-Night!(1988年1月5日発売) - オリコン49位
  • カラーピープル(1988年4月21日発売) - オリコン57位
  • ブルーベリーの季節(1989年1月21日発売) - オリコン62位

アルバム

編集
  • COLOr PEOPLe(1988年6月21日発売)
  • 二度としません。(1989年2月21日発売)

受賞歴

編集

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ 和泉修|プロフィール”. HMV&BOOKS online. 株式会社ローソンエンタテインメント. 2024年8月26日閲覧。
  2. ^ a b 細田昌志 (2022年5月26日). “清水圭 突然の引退と「西のとんねるず」になれなかったあの夏”. FRIDAYデジタル. 細田昌志の芸能時空探偵. 2024年8月26日閲覧。
  3. ^ 11月11日「圭の日」に初トークライブ&約20年ぶりの漫才披露!清水圭トークライブ2016『圭噺-けばなし-』レポート”. よしもとニュースセンター (2016年11月14日). 2024年8月26日閲覧。
  4. ^ 『アンビリバボー』出演の清水圭、ブログで “芸能界引退” を宣言…所属事務所「吉本興業」も否定せず”. Smart FLASH. 光文社 (2022年5月13日). 2024年8月26日閲覧。
  5. ^ 元「圭・修」「ケツカッチン」和泉修が吉本興業退社を報告「いると迷惑かかる」「完全に辞めました」”. デイリースポーツ online (2024年1月27日). 2024年8月26日閲覧。