清水 三男(しみず みつお、1909年12月20日[1]- 1947年1月27日[2])は、日本の歴史学者である。専門は日本中世史。

清水 三男
人物情報
生誕 (1909-12-20) 1909年12月20日
日本の旗 日本 京都市下京区
死没 (1947-01-27) 1947年1月27日(37歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 沿海地方 スーチャン捕虜収容所
出身校 京都帝国大学文学部
学問
時代 20世紀
研究分野 歴史学
日本中世史
研究機関 和歌山県立和歌山商業学校
学位 文学士(京都帝国大学)
特筆すべき概念 唯物史観
主要な作品 『日本中世の村落』(日本評論社)
影響を受けた人物 西田直二郎
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来歴

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京都市下京区生まれ。京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、1928年第三高等学校を卒業[3]し、京都帝国大学に入学。同期に赤松俊秀[4][5]がいる。義兄でもあった中村直勝[6]の影響と、指導教官三浦周行の指導で荘園研究を行った[7]。卒業論文「封建制度の成立に関する一考察」[2][8]をまとめ、1931年京都帝国大学文学部卒業[2][9]する。同年、大学院に進学[7][10]し、西田直二郎の指導を受ける。唯物史観の立場に立って中世封建社会成立についての研究を進めた。

1931年10月から1934年3月まで、叡山学院で神道史の講師を務めた[1]後、1935年和歌山県立和歌山商業学校教員となる[11][12][13]1938年3月に京都人民戦線事件に関係したとされて治安維持法違反により逮捕[7]。翌年、懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けて、保護観察[7][14]となって釈放[15]されると、牧健二に雇われて[16]日本古法制書目調査の助手となる[7][17]。その一方で、中世村落史の研究に従事し、1942年に『日本中世の村落』を上梓した。同書は国民学術協会の理事を務めていた柳田国男[18]の推薦により[19]1944年に昭和19年度国民学術協会賞を受賞する[20]1943年陸軍応召幌筵島に赴く[7]。敗戦後シベリア抑留1947年1月27日、抑留先のスーチャン捕虜収容所で急性肺炎のため死去したと伝えられる[7][21]

抑留中も、帰国後の研究活動を期待され、1945年創立の日本史研究会の創立委員の一員に名を連ねたり[22][23]、京都帝国大学では帰国後に非常勤講師となる予定もあったという[15]

没後、『清水三男著作集』全3巻が刊行されている。著書『日本中世の村落』は戦後歴史学の金字塔である石母田正の『中世的世界の形成』で唯一言及されている研究であり、東京の石母田に並ぶ中世史家であった。

著書

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  • 『日本中世の村落』日本評論社、1942年 NDLJP:1439426
  • 『ぼくらの歴史教室』大雅堂、1942年 NDLJP:1169256
  • 『上代の土地関係』伊藤書店、1943年 NDLJP:1066042
  • 『素描祖国の歴史』星野書店、1943年
  • 『海南島民族誌』(訳書、Stübel Hans著)畝傍書房、1943年
  • 『中世荘園の基礎構造』高桐書院、1949年 NDLJP:1061910
  • 『清水三男著作集』校倉書房、1974-1975年
第1巻「上代の土地関係」・第2巻「日本の中世村落」・第3巻「中世荘園の基礎構造」

参考文献

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  • 赤松俊秀「清水三男君とわたくし」『清水三男著作集 第1巻 (上代の土地関係)』校倉書房、1975年、205-214頁。 全国書誌番号:73017848
  • 網野善彦 著「清水三男」、今谷明ほか編 編『20世紀の歴史家たち』 (5)日本編 続、刀水書房〈刀水歴史全書45〉、2006年、251-274頁。ISBN 4887082320 
  • 石井進「新刊紹介 日本歴史学会編『日本史研究者辞典』」『史学雑誌』第108巻第9号、史学会、1999年、126-128頁。 
  • いいだもも 著「清水 三男 しみず・みつお」、近代日本社会運動史人物大事典編集委員会 編『近代日本社会運動史人物大事典』 2巻、日外アソシエーツ、1997年、919頁。NCID BN15827782 
  • 岩井忠熊「伝えられなかった京都大学国史学専攻の歴史:十五年戦争の一断面」『燎原』第193号、京都の民主運動史を語る会、2011年、2-4頁。 『燎原』第193号”. 京都の民主運動史を語る会. 2017年8月20日閲覧。
  • 国民学術協会 編『財団法人国民学術協会の記録:1939年~1999年』国民学術協会、1999年、25-26頁。 NCID BA43987763 
  • 直木孝次郎「清水三男さんを憶う」『わたしの歴史遍歴-人と書物』吉川弘文館、1999年、2-7頁。 全国書誌番号:99122385
  • 日本史研究会「清水三男の生涯とその業績」『中世荘園の基礎構造』高桐書院〈現代歴史学論叢2〉、1949年、1-21頁。NDLJP:1061910/175 
  • ねずまさし「二人の歴史家の生涯:清水三男・田井啓吾 二君の業績」『歴史評論(民主主義科学者協会編)』第3巻第3号、歴史評論社、1948年、36-38,44。 
  • 林屋辰三郎「清水三男さんの思い出」『清水三男著作集 第1巻 (上代の土地関係)』校倉書房、1975年、215-221頁。 
  • 原田久美子 著「谷間の時代を生きた歴史家:清水三男」、平和と民主主義をすすめる左京懇談会 編『京都・左京の十五年戦争:戦時下を生きた人々』かもがわ出版、1995年、49-56頁。 NCID BN13287152 
  • 久野修義「清水三男の学問:戦時下の歴史学研究と「国家・国民」への思い」『歴史評論』第732号、校倉書房、2011年、40-58頁、NAID 40018714260 
  • 松尾尊兊「歴史と私」『歴史手帖』第24巻第12号、名著出版、1996年、3頁、NCID AN00338842 

脚注

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  1. ^ a b 司法省刑事局『思想研究資料』特輯第77号、1940年(下川巌『人民戦線と文化運動』東洋文化社〈社会問題資料叢書第1輯〉、1973年、301-302頁。 NCID BN02013891 
  2. ^ a b c 網野善彦 2006
  3. ^ 『第三高等学校一覧 昭和3年4月起昭和4年3月止』第三高等学校、1928年8月20日、175頁。NDLJP:1465654/169 
  4. ^ 『京都帝国大学一覧 昭和4年』京都帝国大学、1929年8月31日、414頁。NDLJP:1447046/457 
  5. ^ 赤松俊秀 1975
  6. ^ 清水の姉が中村夫人であった、という(林屋辰三郎 1975)
  7. ^ a b c d e f g 日本史研究会 1949
  8. ^ 署名なし「彙報 昭和5年卒業論文題目」『史林』第16巻第3号、史学研究会、1931年、522頁、NAID 120006815396 
  9. ^ 『京都帝国大学一覧 昭和6年』京都帝国大学、1932年1月31日、459頁。NDLJP:1447145/237 
  10. ^ 『官報』第1316号、昭和6年5月22日、p.560
  11. ^ 久野修義 2011
  12. ^ 中等教科書協会 編『中等教育諸学校職員録 昭和10年5月現在(第32版)』中等教科書協会、1935年9月1日、972頁。NDLJP:1448162/553 
  13. ^ なお、召集されるまでの間、ほかに文理高等学院などでも講師を務めていたともいう。(ねずまさし 1948)
  14. ^ 石井進 1999
  15. ^ a b 直木孝次郎 1999
  16. ^ 清水は学生時代から古文書読解に卓越しており、当時、牧も清水にしばしば教えを乞うことがあったという(ねずまさし 1948)。
  17. ^ 清水三男『日本中世の村落』岩波書店岩波文庫〉、1996年、331頁。ISBN 4003347013 
  18. ^ 新井恒易 編『日本文化団体年鑑』(昭和18年版)日本文化中央聯盟、1943年12月20日、329-331頁。NDLJP:1071176/190 
  19. ^ 松尾尊兊 1996
  20. ^ 国民学術協会 1999
  21. ^ ロシア連邦政府から日本政府に提供された抑留者に関する資料では、1947年1月29日にスーチャン市第1396特別野戦病院で死亡したとされる。(ソ連邦抑留死亡者名簿50音別索引 し (厚生労働省)(2017年6月1日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project)
  22. ^ 『日本史研究』第1号、1946年
  23. ^ 岩井忠熊 2011

関連項目

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