清家吉次郎
清家 吉次郎(せいけ きちじろう、慶応2年9月14日[1](1866年10月22日) - 昭和9年(1934年)2月23日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、愛媛県吉田町長。
経歴
編集伊予国宇和郡喜佐方村(現在の愛媛県宇和島市)に、清家権四郎の二男として生まれる[3]。1889年(明治22年)、愛媛師範学校を卒業し、喜多郡大洲尋常高等小学校に訓導として赴任し、やがて校長に昇進した。1900年(明治33年)、南宇和郡視学に任命され、伊予郡、西宇和郡、北宇和郡の視学を歴任した。
1911年(明治44年)に官を辞し、北宇和郡から県会議員に当選。1919年(大正8年)からは議長を務めた。
1918年(大正7年)、吉田町長に就任。火葬場・病院・学校の建設や吉田港の修築を行い、また宇和柑橘同業組合を組織して柑橘類の輸出に取り組んだ[3]。他に宇和島運輸会社監査役・第二十九銀行監査役・帝国水産会議員などの役職に就いた。
1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第18回衆議院議員総選挙でも再選された。
著書
編集- 『欧米独断』(1928年)
脚注
編集参考文献
編集- 『愛媛県人物名鑑 第三輯』海南新聞社、1923年。
- 『伊予の事業と人物』愛媛通信社、1934年。