油川 信友(あぶらかわ のぶとも)は、戦国時代武士天文19年(1550年)に信濃海野原で戦死。

 
油川信友
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文19年(1550年
別名 源左衛門尉
官位 加賀守
主君 武田信虎武田信玄
氏族 油川氏
父母 父:油川信恵
母:武田信縄の娘?
兄弟 油川弥九郎油川清九郎油川珍宝丸
不明
信吉(信連)油川夫人
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概要

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甲斐国守護武田信昌の孫で、永正5年(1508年)に勝山合戦で滅亡した油川信恵の子。本姓源氏家系清和源氏の一家系である河内源氏の傍系甲斐源氏嫡流武田氏一門油川氏

永正11年(1514年)、父油川信恵の菩提を弔うため、油川山泉龍寺[要曖昧さ回避]を建立した。

武田信虎武田信玄に仕えたが、天文19年(1550年)に信濃海野原(砥石崩れ)で戦死。

子の油川信吉(信連とも、彦三郎)は永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦いで戦死し、孫の油川信次(四郎左衛門)は長篠の戦い1575年)で戦死している。 曾孫で信次の子にあたる武田信貞(油川信貞)が天正壬午の乱を経て甲斐を領した徳川家康に仕官。この子孫は江戸時代を通じて旗本として続き、信貞の曾孫・信定の代に武田に復姓した。

その他

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甲斐国志』にて、油川信友が武田信玄の室油川夫人の父親とされる。

脚註

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出典

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参考文献

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