沖之島 (沖縄県)

かつての沖縄県の島

沖之島(おきのしま[1])は、沖縄本島南部の西にかつて存在したで、1960年代に周囲が埋め立てられ消滅した。

沖之島

沖縄戦終結直後に撮影された沖之島(左)
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』
所在地 日本の旗 日本沖縄県糸満市
所在海域 東シナ海
所属諸島 沖縄諸島
座標 北緯26度8分3秒 東経127度40分6秒 / 北緯26.13417度 東経127.66833度 / 26.13417; 127.66833 (沖之島)座標: 北緯26度8分3秒 東経127度40分6秒 / 北緯26.13417度 東経127.66833度 / 26.13417; 127.66833 (沖之島)
沖之島の位置(沖縄本島内)
沖之島
沖之島
沖之島 (沖縄本島)
沖之島の位置(沖縄県内)
沖之島
沖之島
沖之島 (沖縄県)
沖之島の位置(日本内)
沖之島
沖之島
沖之島 (日本)
プロジェクト 地形
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地理

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沖縄本島南部の西側に位置する、沖縄県糸満市の西部海岸に存在した[2]。報得川の河口にあり、周囲は干潟となっていた[3]

歴史

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沖之島は方言で「アナギ」と呼ばれ、陸地測量部による1921年(大正10年)発行の地図には、「沖ノ島(アナギ)」と表記され、戦後には「沖之島」へ名称が改められた[3]。もとは大字糸満」の一部で、小字の「沖之島」が設定されていたが[4]、1992年(平成4年)に「糸満」から「西川町」へ分離された[5]

かつての沖之島に塩田が存在し、製塩業が営まれていたという[3]。戦後は、糸満漁港の整備が開始され、1954年(昭和29年)に浚渫により完成した水路が報得川から運ばれた土砂で堆積し、1959年(昭和34年)の再浚渫の際に沖之島と沖縄本島間の海域が埋められ[1]、1966年(昭和41年)以降の公有水面埋立事業により、周囲も埋め立てられた[3]本土復帰後の1973年(昭和48年)に、沖之島が存在していた場所に造船所が建設され、2006年(平成18年)まで同地で操業していた[3]

島内には「アナギの竜宮神」と呼ばれる拝所があったが、2000年代に西寄りに移動された[6]。3か所にがあり、「龍宮神社」と「七龍宮神」の石碑が建立されている[6]

(左)対岸の沖縄本島と陸続きとなった沖之島(撮影年不明)。
(右)2010年現在の糸満市字糸満。画像中央上部が沖之島があった場所。
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』

出典

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  1. ^ a b 「糸満漁港」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.213上段
  2. ^ 「糸満市」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.203下段
  3. ^ a b c d e 「第1章 現況 沖之島」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.17
  4. ^ 「第1章 現況 小字の変遷」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.14, 16
  5. ^ 「第1章 現況 沖之島」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.18
  6. ^ a b 「第8章 祭祀と信仰 アナギの竜宮神」、糸満市史編集委員会編(2016年)、p.243

参考文献

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  • 糸満市史編集委員会編『村落資料 - 旧糸満町編 -』糸満市役所〈糸満市史 資料編13〉、2016年。 全国書誌番号:23093452
  • 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4 

関連項目

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  • 伊保島 - 同市に存在した島で、1980年代に周囲が埋め立てられ消滅した。

外部リンク

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