池田長紀
岡山藩家老。片桐池田家8代
池田 長紀(いけだ ながのり)は、岡山藩の家老。片桐池田家第7代当主。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 宝暦6年(1756年) |
死没 | 文政6年11月17日(1823年12月18日)[1] |
別名 | 競、主殿、伊賀(通称) |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 備前岡山藩 |
氏族 | 伊木家→片桐池田家 |
父母 | 伊木忠知、養父:池田長玄 |
兄弟 | 忠亮、忠識、長紀、菅実寧、娘(池田博道正室)、娘(池田長旧正室) |
子 | 養子:長貞 |
生涯
編集宝暦6年(1756年) 、岡山藩筆頭家老・伊木家7代当主伊木忠知の子として生まれる。父忠知が片桐池田家4代長喬の子であったことから、7代長玄の養子として迎えられた。
文化2年(1805年)9月、長玄の隠居により家督相続し、周匝2万2000石の領主となる。同年、藩主池田斉政に仕置家老に任じられて藩政を担う。
人物
編集和歌に巧みな教養人であった。
脚注
編集- ^ 『岡山県通史 下編』(岡山県通史刊行会、1962年)p.311
参考文献
編集- 『美術人名辞典』(思文閣)