池田政順
江戸時代中期の備国岡山藩の世嗣。池田綱政の十五男(公式には三男)
池田 政順(いけだ まさゆき/まさより)は、江戸時代中期の備前国岡山藩の世嗣。通称は三左衛門。
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 元禄9年8月19日(1696年9月15日) |
死没 | 宝永6年2月29日(1709年4月8日) |
別名 | 三左衛門(通称) |
藩 | 備前岡山藩世嗣 |
氏族 | 池田氏 |
父母 | 池田綱政、幸品 |
兄弟 | 輝尹、恒行、吉政、軌隆、土倉一明、政順、継政、政純ら |
略歴
編集2代藩主・池田綱政の十五男として誕生。母は幸品(水原氏)。
綱政の嫡男であった異母兄・吉政は政順が生まれる前の元禄8年(1695年)に早世していたため、幼くして嫡子となり、宝永2年(1705年)に5代将軍・徳川綱吉に拝謁した。しかし、宝永6年(1709年)に14歳で早世した。
代わって同母弟・継政が嫡子となり、家督を継いだ。