池田恒行
江戸時代前期の大名。播磨山崎藩3代藩主。夭折。恒元系池田家3代(無嗣断絶)。池田綱政の五男?六男?。母は初(側室)
池田 恒行(いけだ つねゆき)は、江戸時代前期の大名。播磨国山崎藩の第3代藩主。夭折のために官位はなし。恒元系池田家3代。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛文12年(1672年)[注 1] |
死没 | 延宝6年12月27日(1679年2月8日) |
改名 | 二郎、次郎丸、数馬、恒行 |
墓所 | 東京都港区高輪の東禅寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 播磨山崎藩主 |
氏族 | 池田氏(利隆流、恒元流) |
父母 |
父:池田綱政 養父:池田政周 |
兄弟 | 輝尹、恒行、吉政、軌隆、土倉一明、政順、継政、政純ら |
略歴
編集備前国岡山藩主・池田綱政の五男として誕生した。幼名は二郎、次郎丸、数馬。
先代藩主の池田政周が延宝5年(1677年)に嗣子なくして早世したため、その跡を継いだが、翌年12月27日に江戸にて公年7歳(実際は4歳)で死去した。嗣子がいるはずもなく、こうして播磨山崎における池田家は断絶した。墓所は東京都港区高輪の東禅寺。