永岡洋治
日本の政治家
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永岡 洋治(ながおか ようじ、1950年〈昭和25年〉12月24日 - 2005年〈平成17年〉8月1日)は、日本の政治家、官僚。茨城県古河市出身。埼玉県立春日部高等学校、東京大学法学部卒業。ハーバード大学大学院修了[1][2]。自由民主党(亀井派)に所属した。
永岡 洋治 ながおか ようじ | |
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生年月日 | 1950年12月24日 |
出生地 | 日本 茨城県古河市 |
没年月日 | 2005年8月1日(54歳没) |
死没地 | 日本 東京都 |
出身校 |
東京大学法学部卒業 ハーバード大学大学院修了 |
前職 | 国家公務員(農林水産省) |
所属政党 |
(新進党→) (無所属→) 自由民主党(亀井派) |
配偶者 | 妻・永岡桂子(衆議院議員) |
公式サイト | ながおか洋治ウェブサイト(2005年8月2日時点のアーカイブ) |
選挙区 | 茨城7区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年4月27日 - 2005年8月1日 |
略歴
編集- 1975年(昭和50年):農林水産省入省
- 1985年(昭和60年):鹿児島県農政課長
- 1987年(昭和62年):農林水産省大臣官房、予算課長補佐
- 1990年(平成2年):大臣官房企画室上席企画官
- 1991年(平成3年):農林水産省大臣官房総務課調査官
- 1993年(平成5年):農林水産省経済局国際部ガット室長
- 1994年(平成6年):農林水産省畜産局牛乳乳製品課長
- 1995年(平成7年):農林水産省退官
- 1996年(平成8年):第41回衆議院議員総選挙で茨城3区から新進党公認で立候補するも落選。
- 2000年(平成12年):第42回衆議院議員総選挙で茨城7区から無所属(自民党茨城県連推薦)で立候補するも落選。
- 2003年(平成15年)4月:茨城7区選出だった中村喜四郎の実刑判決確定・衆議院議員失職により行われた補欠選挙に自民党公認で立候補し初当選。党国会対策委員、衆議院決算行政監視委員、法務委員を務める。
- 2003年(平成15年)11月:第43回衆議院議員総選挙にて2期目の当選。
- 2005年(平成17年):自民党総務会では反対票を投ずるも、7月5日の衆議院本会議では所属派閥会長の亀井静香の意に反し郵政民営化法案に賛成票を投じる。