永井直邦
大正・昭和期の政治家、華族
永井 直邦(ながい なおくに、1896年〈明治29年〉1月7日[1] - 1950年〈昭和25年〉9月10日[1][2])は、大正・昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・戸田、旧名・邦光[1]。位階は従三位[2]。
永井直邦 ながい なおくに | |
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貴族院事務局『貴族院要覧(丙) 昭和二十一年十二月増訂』より | |
生年月日 | 1896年1月7日 |
没年月日 | 1950年9月10日(54歳没) |
出身校 | 東京帝国大学文学部卒業 |
前職 | 理研電具嘱託 |
所属政党 | 研究会 |
称号 | 従三位 |
配偶者 | 永井艶子 |
親族 |
義父・三条公美(貴族院議員) 義兄・仙石久英(貴族院議員) 義弟・島津忠承(貴族院議員) |
在任期間 | 1946年5月10日 - 1947年5月2日 |
経歴
編集子爵・戸田康泰の五男として生まれ、子爵・永井直諒の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い家督を継承して直邦と改名し、1920年(大正9年)1月6日に子爵を襲爵した[1][3]。
1921年(大正10年)東京帝国大学文学部を卒業[1][3]。1923年(大正12年)臨時帝室編修官補に就任[1][3]。以後、文部省嘱託、東京府主事・社会教育課勤務、理研電具嘱託などを務めた[2][3]。
1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[4][5]、研究会に所属して活動し、1947年(昭和21年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 永井直諒 |
子爵 (高槻)永井家第2代 1920年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |