比丘尼相応
「比丘尼相応」[1](びくにそうおう、巴: Bhikkhunī-saṃyutta, ビックニー・サンユッタ)とは、パーリ仏典経蔵相応部に収録されている第5相応。
構成
編集全10経から成る。
- Āḷavikā-sutta
- Somā-sutta
- Kisāgotamī-sutta
- Vijayā-sutta
- Uppalavaṇṇā-sutta
- Cālā-sutta
- Upacālā-sutta
- Sīsupacālā-sutta
- Selā-sutta
- Vajirā-sutta
ヴァジラー経
編集ある時、阿羅漢ヴァジラー尼比丘の中に、以下のような思いが起こった[2]。
Kenāyaṃ pakato satto kuvaṃ2 sattassa kārako, Kuvaṃ satto samuppanno kuvaṃ satto nirujjhatīti.
「衆生は何者によって作られたのか、衆生の作者はどこにいるのか、 どのような状況で衆生は発生し、どのような状況で衆生は滅するのか。」
ヴァジラー尼比丘はこれをマーラ(悪魔)と断じ、以下の詩句をもって退散させた[2][3]。
Kinnu sattoti paccesi māradiṭṭhigatannu te, Suddhasaṅkhārapuñjoyaṃ nayidha sattūpalabbhati.
Yathā hi aṅgasambhārā hoti saddo rato iti, Evaṃ khandhesu santesu hoti sattoti sammuti3.いったい何を衆生(を衆生たらしめる原理)と信じているのか、マーラよ、あなたには悪見がある。
(それは)単なる現象(サンカーラ)の集合体にすぎず、衆生(を衆生たらしめる原理)と言えるものは見いだせない。
部品の集まりによって、「車」といった呼称が起こるように、五蘊(の集まり)によって、「衆生」という世間の合意がある。
Dukkhameva hi sambhoti dukkhaṃ tiṭṭhati veti ca,
Nāññatra dukkhā sambhoti nāññatra dukkhā nirujjhatīti.発生するのは苦である、そこにあるものは苦である、消えるのも苦である。
苦以外のものは発生しておらず、苦以外に消滅するものもない。
これを聞いたマーラは、己を見透かされていることを苦しみ、消滅した。
日本語訳
編集脚注・出典
編集- ^ 『南伝大蔵経』、『パーリ仏典』片山
- ^ a b c アルボムッレ・スマナサーラ『般若心経は間違い?』Evolving〈スマナサーラ長老クラシックス〉、2017年、Chapt.4 無我問答。ISBN 978-4796660327。
- ^ 清水俊史『ブッダという男 ――初期仏典を読みとく』筑摩書房、2023年、161-162頁。ISBN 978-4480075949。
参考文献
編集- パーリ仏典, 相応部比丘尼相応 10.ヴァジラー経, Sri Lanka Tripitaka Project
関連項目
編集外部リンク
編集- Bhikkhunīsaṃyuttaṃ - Tipitaka.org