武田信典
武田 信典(たけだ のぶのり)は、江戸時代後期の高家旗本。通称は貞之丞。官位は従四位上・左近衛少将、大膳大夫。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永5年2月24日(1776年4月12日) |
死没 | 万延元年11月18日(1860年12月29日) |
改名 | 頼典(初名)→信典→鶴翁 |
別名 | 通称:貞之丞 |
官位 | 従五位下侍従、左京大夫、従四位上左近衛少将、大膳大夫 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家斉→家慶→家定 |
氏族 | 水戸徳川家支流守山松平家→高家武田氏 |
父母 |
父:松平頼亮、母:川上氏 養父:武田護信 |
兄弟 | 松平頼孝、松平頼慎、信典、新田貞靖、知久頼衍、伴、都 |
子 |
崇信 養子:信之 |
略歴
編集陸奥国守山藩主・松平頼亮の三男として誕生。生母は川上氏。初名は頼典。小笠原忠真の女系子孫であり、武田氏と同じ甲斐源氏の支流である小笠原氏と繋がりを有した。
文化4年(1807年)12月16日、高家武田護信の養子となる。文化5年(1808年)4月6日、養父の隠居により家督を相続する。文化8年(1811年)11月24日、高家職に就任、従五位下侍従・左京大夫に叙任する。後に従四位上左少将に昇進する。文政11年(1828年)11月27日、高家肝煎に就任する。安政3年(1856年)10月22日、隠居して養子信之に家督を譲り、同日高家肝煎も辞職する。以後鶴翁と称する。万延元年(1860年)11月18日死去、享年85。