松平頼亮
江戸時代後期の大名。守山藩第3代藩主
松平 頼亮(まつだいら よりあきら)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。陸奥国守山藩の第3代藩主。水戸支流頼元系松平家4代。官位は従四位下・大学頭、侍従。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 延享元年4月7日(1744年5月18日) |
死没 | 享和元年9月8日(1801年10月15日) |
改名 | 徳之進→頼種→頼亮 |
官位 | 従四位下大学頭、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 陸奥守山藩主 |
氏族 | 水戸徳川家支流守山松平家 |
父母 | 父:松平頼寛、母:曽代 |
兄弟 | 頼羆、頼篤、頼亮、頼融、頼溥、幾 |
妻 |
正室:栄姫 側室:川上氏 |
子 | 頼孝、頼慎、武田信典、新田貞靖、知久頼衍、伴、都 |
略歴
編集守山藩の第2代藩主・松平頼寛の3男として誕生。母は益田弥兵衛の娘曽代。
嫡子だった兄・頼篤が夭折し、嫡子となる。宝暦13年(1763年)、父の死により家督を相続した。藩財政の立て直しのため、安永3年(1774年)に矢野庄兵衛を郡奉行に任命して農村人口の減少防止、他の領への奉公人規制、風俗取締、博奕禁止などに当たらせた他、倹約令を定めた[1]。
系譜
編集脚注
編集- ^ 工藤寛正 編『徳川・松平一族の事典』東京堂出版、2009年