橘百枝
橘 百枝(たちばな の ももえ)は、平安時代初期の貴族。従四位上・橘綿裳の子。官位は従四位下・伊勢介。
時代 | 奈良時代後期 - 平安時代前期 |
---|---|
生誕 | 宝亀6年(775年) |
死没 | 仁寿4年4月2日(854年5月2日) |
官位 | 従四位下・伊勢介 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 橘朝臣 |
父母 | 父:橘綿裳 |
兄弟 | 継成、百枝 |
経歴
編集延暦18年(799年)内舎人に任ぜられる。大同2年(806年)に発生した伊予親王の変に連座して、常陸員外掾に左遷される。
その後罪から許されたらしく、嵯峨朝末の弘仁13年(822年)従五位下に叙爵。淳和朝の天長7年(830年)従五位上・伊勢介に叙任される。仁明朝後半に昇進し、承和13年(846年)正五位下、承和15年(848年)従四位下に至る。長命を保ち、桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明・文徳の六朝に仕えた。仁寿4年(854年)4月2日卒去。享年80。最終官位は散位従四位下。
人物
編集文書を理解できなかった一方、鷹や猟犬などの狩猟を好み、常に漁撈と狩猟を行い休むことがなかった。剃髪して僧侶となり、臭いの強い野菜を食さなかった。大和国山辺郡に邸宅があったが、ある時に、池の堤が崩れ壊れるほどの洪水により、建物はことごとく流失してしまったが、百枝だけは身体を木に紐で繋ぎ止めて、僅かに生き残ることができたという[1]。
官歴
編集『六国史』による。